人身事故を「大いなるタブー」にしてはならない:世界を「数字」で回してみよう(40) 人身事故(最終回)(9/9 ページ)
「人身事故」という、公で真正面から議論するには“タブー”にも見えるテーマを取り上げた本シリーズも、いよいよ最終回となります。今回は、「飛び込み」を減らすにはどうすればいいのか、という視点を変え、「飛び込み」さえも構成要素として取り込む鉄道インフラシステムについて考えてみたいと思います。
「飛び込みは5ギガエバタ」!? 後輩レビュー
後輩:「なんというか、江端さんは、研究員ですよね」
江端:「何だ、薮から棒に」
後輩:「今回の前半部は、明かに『終了報告書』ですよね。研究員って奴は、どうしてもサマリーを作らずには、業務を終了させることができないのでしょうか」
江端:「最終回なのだから、一応、全体のレビューみたいなものは必要だろう?」
後輩:「江端さんのコラムは、『暗い』『怖い』『読みたくない』の3拍子がウリなのですよ。読者は、毎月、『嫌だなぁ〜、読みたくないなぁ〜、面倒くさいなぁ〜』と、不快な思いを堪(こら)えながら、江端さんのコラムを読んでいるのですよ」
江端:「初耳だよ」
後輩:「『読みたくない江端コラムをあえて読む』『一月に一度なら我慢できる』。そこに、読者にとっての江端さんのコラムの存在意義があるのです」
江端:「そこまで無理して読む必要はなかろうが」
後輩:「江端さん、別のコラムに書いていましたよね。「『なぜ山に登るのか?』→『そこの山があるから』というふざけた対応がある」って。あれと同じですよ」
江端:「……本題に入るぞ。今日の議論のテーマは、『自殺を前提とする社会』だ」
後輩:「江端さんは、自殺する人を、社会における『歩留まり』のようなものとして把握しようとしているのでしょう」
江端:「まあ、そう解釈されても仕方ないなー、とは思うよ。ただ、今回は『そのような考え方は、ヒューマニズムに反する』という議論にするのは禁止とする。今回は、『歩留まり』でもなく『ヒューマニズム』でもない、別の視点からのレビューをしたいから」
後輩:「分かりました。では始めましょうか。まず、『自殺を前提とする社会』は、『自殺を容認する社会』と同義であることは、同意頂けますか」
江端:「うん、まあ、その認定なしに、『自殺を前提とする社会』は成立しないのは、同意できると思う」
後輩:「では、『自殺を容認する社会』が、『自殺を権利とする社会』と同義であるという、認識もありますか」
江端:「え?」
後輩:「わが国は、宗教が教義とする『自殺は罪』であるという意識は薄いと思いますが、それでも『自殺は権利である』という考え方が社会に浸透しているか、というと、そうでもありません」
江端:「確かに」
後輩:「『自殺が権利』であるなら、各個人は、その自殺についての自己決定権を持てるわけですよね」
江端:「そういうことになる」
後輩:「となると ―― そうですねえ、私たちエンジニアのビジョンからすれば、「自殺装置」や「自殺システム」の研究開発がビジネスとして、正々堂々と成立する社会の実現ですね。技術的観点では、「安楽死指数」なるものが必要になってくるかもしれません。単位は、例えば「首吊りは30ミリエバタ」とか「飛び込みは5ギガエバタ」としてはいかがでしょうか」
江端:「お、おい……ちょっと待った」
後輩:「うん、確かに、これらの装置やシステムの市場規模は大きそうです。大手メーカーが、こぞって参入してきますね。数値目標として『年間30万人の自殺者達成』とか掲げられたりして。さらに国際市場への進出も可能そうです。『安楽死大国日本』として、訪日する外国人の数も、今の何倍も底上げできるかもしれません」
江端:「いや、待て。私は、そんな社会を実現したいなどとは、思っていないぞ」
後輩:「強制的と自発的、またはハードアプローチとソフトアプローチの差こそあれ、こうして、日本列島は『21世紀のアウシュビッツ強制収容所』とまで言わなくとも、『自殺サービス工場』として完成するわけです」
江端:「……」
後輩:「江端さんは、歴史上、このようなロジックで、正義と法の名の元に、大量の人間が虐殺されてきた事実や、そして「生きる価値のない人間」という定義のもと、今なお強制的に生殖機能を奪われている人がいるという事実を、他の人よりは多く知っているのではないのですか?」
江端:「……知っている。最近、優生学や優生思想に基づく各国の政策について、いろいろな本を読んでいたところだ」
後輩:「江端さんの主張する『自殺を前提とする社会』には、こういうリスクがあり、そして、そのリスクがそのまま現実になったという事例は、歴史上、腐るほどあるのです」
江端:「しかし、今の話、ちょっと論理が飛躍しすぎてないか? 『自殺の前提』→『自殺の容認』→『自殺の権利』のステップでも十分ジャンプしているし、そこから『自殺ビジネス』→『自殺国家』まで飛ぶと、さすがにロジックの持って行き方に無理があるぞ」
後輩:「普通ならそうですね。しかし、今、私たちが議論しているのは、その価値において、他の債権とは比較できない『命』です」
江端:「……」
後輩:「もし江端さんが、『自殺を前提とする社会』を公にするのであれば、過去の事例を徹底的に調査し、もっと多くの知識を得て、検討して、ありとあらゆる可能性に思いをはせ、死ぬほど考え抜かなければなりません。
無礼を承知の上で申し上げますが、私は、江端さんの『自殺を前提とする社会』の提言は、検討が不十分かつ不徹底である、と思います」
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Profile
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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