意味不明の「時短」は、“ツンデレ政府”のSOSなのか:世界を「数字」で回してみよう(45) 働き方改革(4)(5/11 ページ)
「働き方改革」において、「生産性」に並ぶもう1つの“代表選手”が「時短」、つまり「労働時間の短縮」ではないでしょうか。長時間労働の問題は今に始まったことではありませんが、どうしても日本では「時短」がかなわないのです。それは、なぜなのでしょうか。
時間を短くして生産力を維持する方法
労働生産性とは、要するに以下の図の様なものです。
要するに、
「(カツ丼)労働生産性」=「労働で生み出された対価(カツ丼の利益) ÷ 労働投入量(カツ丼を作る為の労働)」
ということです。
これは、カツ丼を作る時間を短かくすれば、あるいは、カツ丼製造ライン(って、どんな機械になるんだろう)を現場に投入して、調理人をリストラすれば、(カツ丼)労働生産性は、簡単に向上します。
労働時間を短くすれば(そのために、生産ラインなどを導入すれば)、当然「分母」が小さくなるので、労働生産率が向上するのは当然のことです。
このような事実をもって、「時短=生産性向上」と主張している人が、これを知っていて言っているのであれば「詐欺」だし、知らずに言っているのであれば「無知」です。
もっとも、時間が短くなっても、一定の生産量を維持する必要があるので、時短をするには(製造ラインの導入以外にも)人間がいろいろな作業効率を上げる工夫が必要となっているハズです。
しかし、時間を短くして生産力を維持する方法には、比較的、簡単な方法があるのです。それは「『100%主義』を止めてしまう」ということです。
上図の上の図の曲線は、経済学でいうところの「生産力曲線」と同じものですが、これは、大抵の仕事の品質は、この曲線に当てはまります(少なくとも、私のこれまでの仕事においては、例外なく該当しています)。
つまり、「『完璧な仕事』を目指す人の生産性は、恐しく悪い」ということです。100%を目指す、約半分の時間で80%が達成されており、4分の3の時間で90%が達成されるということです。
ざっくり「こだわり」を2割捨てれば、生産力は2倍になるのです。私の場合では、2倍の文章を執筆でき、2倍のイラストを作成でき、あるいは、残りの時間で別のやりたいことができる、ということです*)。
*)実はこの話、前回の冒頭の「上司に殺意を覚えました(本当)」の話につながります。
品質を下げることが困難である(特に安全性が要求される)ものであれば、実装する機能を2割削減するという対応も考えられます。
今さら言うまでもないですが、日本の製品の多くが、必要以上の高品質を目指し、ユーザーが使うかどうか分からないような付加価値機能にこだわって、その結果自滅していったという事実を、あらためて思い出す必要があります(特に家電製品分野)。
私は、「時短が労働生産性を上げた」という各国の事例は、この「『100%主義』を止めてしまう」の成果であると推察しています。
さらに、時短に強制力(法律とか行政命令とか)があれば、さらに「こだわり」を捨てやすい状況になるので、その様な強制力が、時短を押し進めた可能性もあります。
ただ、忘れてはならないのは、「労働生産性」とは、単なるパフォーマンスの向上であって、「生産が増えている」というものではないということです。
「労働生産性」の向上は、国民総生産(GDP)を下げることもありますし、引いては給料が減らすことにもなりますし、さらにはリストラを正当化する根拠にもなっていくはずです。
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