NECとパナの実例で読み解く、コーポレートベンチャリングの難しさ:イノベーションは日本を救うのか(25)(3/4 ページ)
最近は日本でもオープンイノベーションやCVCの議論が盛んだが、実は1990年代にも、米国で新規事業のタネを探すべく、コーポレートベンチャリングを行う日本企業が増加した時期がある。ただ、やはり簡単ではない。今回はNECとパナソニックの実例から、その難しさを読み解いていこう。
パナソニックの場合――自社名を前面に押し出す
同じころ、シリコンバレーにCVCとまではいかないが、今でいうインキュベータ―を作った日本企業がもう1社あった。パナソニック(当時は松下電器産業)である。
1997年ごろ、筆者のオフィスでは、「AZCA Residence Program」という、人材育成を支援するプログラムを実施していた。そこに、パナソニックの従業員1人が1年間、参加していた。こうした経緯もあり、パナソニックもCVCを設立しようかという議論になった。
ただ、パナソニックはファンドという形ではやりにくいという事情があったため、カリフォルニア州クパティーノに、「PDCC(Panasonic Digital Concepts Center)」を設立した。今でいうインキュベーションセンターである。NECのCVCとは異なり、こちらの方は「Panasonic」を前面に出して看板を掲げ、ベンチャー企業に格安でオフィスや研究室を貸し出しますよ、とうたったのだ。
先述したように、一般論として、早期のベンチャー企業は、ひも付きのお金は欲しがらない。だが、パナソニックは民生機器メーカーなので、ブランド力が非常に重要になる。そのため、ベンチャー企業にとって「パナソニックと組んでいる」というのは有利に働くわけだ。パナソニックが、自社の名称を前面に押し出したのには、そのような理由があった。
さらに、入居するベンチャー企業の技術が、パナソニックの事業や技術と接点がありそうであれば、投資もすると主張したのだ。しかもPDCCでは、当時の責任者(松下電器の常務CTO(最高技術責任者))だったS氏のサイン1つで、1000万米ドルまでは投資できる規定も設け、よりスピーディーに投資の意思決定を行えるようにしたのである。
さて、PDCC設立から3年程たった時、S氏が退職した。後継者としてM氏が責任者となったが、彼の方針はS氏とはだいぶ異なっていた。PDCCを、いわゆるオープンイノベーションの場所として設立し、運営してきたS氏に対し、M氏は、PDCCにパナソニックの研究開発の機能を持たせようとしたのである。PDCCの運営方針や戦略は、これによってずいぶん変わってしまった。
結果的にPDCCは発展的に解消し、ベンチャリング活動を行うPanasonic Venture Group(PVG)と、研究開発を行うPanasonic R&D Corporation(PRDC)が生まれた。ちなみにパナソニックは2017年4月、PVGを発展的に解消し、CVCとして、110億円の投資枠を持つパナソニックベンチャーズを設立している。
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