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口に出せない介護問題の真実 〜「働き方改革」の問題点とは何なのか世界を「数字」で回してみよう(53) 働き方改革(12)(3/10 ページ)

今回は、介護に関する「働き方改革」の問題点に迫ります。本稿をお読みいただき、政府が声高にうたう「働き方改革」が現実に即しているかどうかを、ぜひ皆さまなりに考えてみてください。

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介護に関わる期間は「人生の2割以上」

 このフェーズの線表を、ざっくり作成してみました。

 暫定的に、"高齢者"の年齢を65歳以上として、現在の平均年齢を85歳と簡略化します。現在、介護を必要としない年齢「健康寿命」を75歳とすると、私の上記のフェーズは以下のような時間軸に並べることができます。

 私たちは「被介護者」だけでいられる訳ではありません。私たちは当然「介護者」の役割も果たさなければなりません。被介護者一人が10年生きれば、介護者一人分は10年間、介護に従事しなければなりません。

 このように考えれば、私たちが"介護"に関わる期間は、人生の2割を超えることになります。さらに、「介護者」の期間終了15年後に、その立場が入れ替わります。私たちは「被介護者」になるのです。

 統計値による、高齢者の各フェーズの期間は以下の通りです。

  • フェーズA:65〜70歳(5年)
  • フェーズB:70〜75歳(5年)
  • フェーズC:75〜85歳(10年)

 つまり高齢者の後半(50%)は被介護状態です。そして、この期間(死に至るまで)自力では生きていけず、人の支援を前提としなければならないということです。

 10年間 ―― 正直、ぞっとするほど長い時間です。10年もの間、誰かに助けてもらわなければならず、その間、助けてくれる人に対しては、どんなに不愉快であっても「愛想よくし続けなければならない」と考えるだけで、「それ、私には、無理ゲー」と断言できるほどです*)

*)私(江端)がお客さんに愛想よくできる時間は、2時間が上限です。

 ちなみに、以下は、人間と同じ霊長類に属するチンパンジーの線表です。

 動物の場合、自力で餌を捕れなくなった時点で寿命となりますので、"介護"期間はゼロです。

 人類が、その発生から現在に至るまで、"介護"という概念を持ち得なかったことは、前々回に述べた通りです。人類を含めて、地球上の生物は、高齢者を延命させる"介護"という概念を、DNAのレベルで持っていないのです。これが「種を維持する」という明確な目的をもつ"育児"との、決定的な違いです。

 ところで、話はちょっと逸れますが ――

 親孝行などの「孝の精神」は、長らくの間、形而上学の概念でとどまっていられました。せいぜい、『年長者に対してきちんとあいさつをする』とか、『親の言いつけを守る』とか、『高齢者に席を譲る』とか、その程度のことで、「孝の精神」の具体例としては十分だったのです。

 また、1945年より前の"寝たきり"の介護時間は、せいぜい半年間が上限であり、形而下学的にも矛盾なく存在することができました(関連記事:「高齢者介護 〜医療の進歩の代償なのか」)。

 しかし、近年の長寿化による、10年もの"介護"の概念は、「孝の精神」だけでは、到底対応できるものではありません。そして、この介護時代における「孝の精神」の代替となる新しいパラダイム(思想、哲学)は、全く登場していません。

 ですから、私は、「思想家、哲学者を名乗る者たちは、一体何をやっとるんだ」と、文句の一つも言いたくなるのです。

閑話休題

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