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デジタル時代の敬老精神 〜シニア活用の心構えとは世界を「数字」で回してみよう(57) 働き方改革(16)(6/11 ページ)

今回は「シニアの活用」についてです。やたらとずっと働きたがるシニアに働いてもらうことは、労働力の点から見ればよい施策のはずです。ただし、そこにはどうしても乗り越えなくてはならない壁が存在します。シニアの「ITリテラシー」です。

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定年の歴史

 分からないのは、定年制度の定年の年齢の規定です。『どうやって60歳とか65歳とかを決めているんだろう』と思って、今回も定年の歴史的な経緯を調べてみました。

 1870年に、日本で最初の定年制度が導入されたとき、その年齢は55歳となっていました ―― 日本人の平均年齢が45歳の時代に、です。

 これは、労働が職人の能力に強く依存していた時代であることを物語っています。企業は、優秀な技能職人であれば、どんな高齢者であっても、55歳はもちろん、それ以上の年齢になっても、確保し続けたかったことを示しています。

 しかし、その後の定年制の年齢は、平均寿命と連動しています。これは一見自然のようにも見えますが、実のところ、もっとドロドロした話 ―― つまるところ、金(カネ)、です。

 平均年齢が高まれば、年金の支給額が増えて国庫の負担が大きくなります。それを避ける為には、年金の支払期間を可能な限り短くする必要があります。

 これを実現するには、年金を支払わずにすむ期間を長くする「定年退職年齢の高齢化」しかありません*)

*)もう一つの国家が「取りえない」手段は、こちらです(「介護サービス市場を正しく理解するための“悪魔の計算”

 実は、現在と同じような状況が1970年頃にも発生しています。1945年から1970年までに至るまで、毎年1年ずつ平均寿命が延びています。毎年1年ずつ余命が伸びるということは、いつまでたっても死ねないということです。

 これでは、国家が年金を支払うことができなくなるのは当たり前で、さらに、高齢者の再就職問題が顕在化したのです。そこで、1970年に雇用対策法が制定され、再就職問題と、定年制の定年年齢の見直し(段階的な引き上げ等)が行われるに至ったのです。

 で、良く見れば、この1970年の状況は、現在(2018年)の状況に酷似しています。もはや、現状の60歳または65歳の定年制度でも、もう正直キツい状況にあるのです。

Win-Win-Winの「黄金の三重奏」のはずが……

 ならば、定年年齢をさらに引き上げればいいのです。これは、シニアの「働き続けたい」という希望にも沿うもので、政府、国民、さらにシニアの完全無欠のWin-Win-Winの「黄金の三重奏」ができるはずです。

 そして、ここまで引っぱりに引っぱって、ようやく前半の「シニアのITリテラシー欠如問題」が灰の中からよみがえってくるのです。

 それは、「黄金の三重奏」どころか、行政、企業、シニアの三者による「私欲の炎上トライアングル」といっても良いくらいの、ドロドロした自己保身の関係になっています。

 面倒くさいので、上記の図を3行で説明します。

  • 行政は「年金を払いたくないから働き続けろ」と言い、
  • シニアは「働きたいが、働く場所がない」と言い、
  • 企業は「パソコン程度も扱えない奴に働く場所なんかあるか」と言っているのです。

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