長時間労働=美徳の時代は終わる 〜「働き方改革」はパラダイムシフトとなり得るのか:世界を「数字」で回してみよう(61) 働き方改革(20) 最終回(4/9 ページ)
20回にわたり続けてきた「働き方改革」シリーズも、今回で最終回を迎えました。連載中、私はずっと、「働き方改革」の方向性の妥当性は認めつつ、「この問題の解決はそれほど簡単なことではない」という反骨精神にも似た気持ちの下、それを証明すべく数字を回してきました。これは“政策に対する、たった1人の嫌がらせ”とも言えます。そして最終回でも、この精神を貫き、“たった1人の最後の嫌がらせ”をさせていただこうと思っています。
実はブラック中のブラック? 天皇陛下の仕事量
では次に、天皇陛下のお仕事を見てみます。お仕事の内容は、大きく3つに分けられます。
まず(1)の国事行事ですが、これは、国家の装置(国家機関)としての天皇陛下のお仕事です。そして、これが、なんとも過酷なのです。
天皇陛下の決済なくして、上記の(1)の国事行事は1ミリも進みませんが、そもそも、天皇陛下には、最初から「決済しない」という選択肢がありません(憲法第4条)*)。
*)それなら、何のための国事行事なわけ、というツッコミへのお答えは、今回は割愛します。
それどころか、(ご病気等で)決済が遅れると、大変なことになります ―― 大げさでなく「国家が停止」します。それどころか、「法律の公布」の決済が遅れて、法律の発行が遅滞したとしたら、天皇陛下が立法権に介入したことになってしまいます(憲法41条に抵触)。
仮に天皇陛下のご体調が悪くても、この(1)の国事行事のお仕事だけは「何が何でも」やって頂く必要があるのです。日本の中で、ただ、天皇陛下お一人だけが「誰か(同僚等)に仕事を頼む」ということが許されません*)(で、結果として、無理を押して、決済のご公務をされることがある、らしいです)。
*)ちなみに、天皇陛下には『同僚』はいませんが、『摂政』を立てることは可能です。ただし、国事行為を行うことができないと皇室会議で判断された時(皇室典範第16条2項)に限られますので、緊急事態の最後の手段として「国事行為臨時代行」の制度があります。
……これって、ちょっと過酷すぎない?
だからこそ、この過酷なご公務に関して、宮内庁というバックアップに特化した省庁があるのですが、それでも、最終的に、法文に目を通し、毛筆で署名をされ、天皇の公印(御璽(ぎょじ))を押されるのは陛下ご自身です。そして、この(1)の国事行事お仕事の数量が、今後も削減されることはありません。憲法で明文化されているからです。
次に、(2)の公的行為ですが、これらの行為は、「陛下御自身が決める」という形式を取っています。とはいえ、(a)外国/地方訪問、(f)晩餐会など、誰がどう見ても、国家(政府)の要請であることは、明々白々です。例えば、合衆国大統領との晩餐を天皇陛下がお断わりされたら ―― と考えてみれば明らかです。
なぜ、これが(1)の国事行事ではないか、というと、外国/地方訪問や、晩餐会のホストのご公務が、憲法に規定がないからです。では、なぜ国家(政府)が天皇陛下に要請できるかというと、「象徴天皇(憲法第1条)の地位」としての役割から、そのようなお願いが可能である、と解釈が可能となるのです。
天皇陛下は、これらの要請を断わることもできるはずなのですが、基本的にはお受け頂いているようです*)。
*)正確には、宮内庁が内容を精査し、スケジュールや陛下の体調などを勘案して、最終的な判断を仰ぐという形を取っています。
そして、驚くべきことは、(3)のその他の行為です。被災地の被災者への慰問や、国民の幸福と安念を祈る数々の祭祀は、「天皇陛下のご意志」で実施されているということです(宮内庁がサポートする点においては、上記と同じです)。
特に、被災地・避難所の慰問に関しては、天皇陛下を中心とした皇族の皆さまによる、緊急プロジェクトチームの様相を呈しています(参考)。
さらに、祭祀に関しては、政教分離の原則(憲法第20条)から、私的経費(内廷費)で実施されているようです。
このようにまとめますと、天皇陛下の3種類のお仕事は、
(1)国家を回す「装置」としてのお仕事、
(2)象徴天皇として「お願いされる」お仕事、
そして
(3)「象徴天皇とは何か」をご自身で探求し決断して実施されるお仕事、
と言い換えることができるかと思います。
これだけの仕事を、天皇陛下お一人で担っておられるということに、今さらながら驚がくしています(私なんかは、上の表を作るだけで疲れました)。
多くの人が天皇陛下のご公務が過酷過ぎる、という主張を展開しています。ちょっとググれば、山ほど出てきます。ところが、ご公務の種類やその内容を並び立てていても、その過酷さを定量化しているような論説は、私が知る限り絶無です。
そこで、今回、宮内庁が公開されている天皇陛下のご公務の数値と、公開されていないご公務の所要時間を、「江端の直感」を使って、力ずくでの数値化を試みました*)。
*)宮内庁、あるいは有識者が、この「江端の直感」を正確な値に置き換えて、再計算してくれれば嬉しいです。
まず、資料より、天皇陛下(現在の上皇陛下)のご公務の数を全て"年間"の単位にそろえて、私の作った表の方で記載してみました(コンサート鑑賞や研究などは、対象外としました)。
注意して頂きたいのは、これが「年間平均」のご公務の数だということです。1989年(昭和64年)1月7日から、2019年(平成31年)4月30日までの、30年3カ月の通年の数ではないことに留意してください。
さて、ここから「江端の直感」を使った、力ずくでの計算の結果を示します。
上記の「江端の使った推定値」は、これは私の経験と体感(という、ずいぶんあやふやなもの)から算出しています。例えば、私が、20分の学会発表(英語)をするのに、資料作成には10時間、発表練習に10時間ほどを費やします。
天皇陛下の場合、宮内庁のバックアップがあるので、そこまでの時間は必要としないかもしれませんが、今回は「イベントの準備にかかる時間は、少なくともイベントの実施時間と同程度の時間は費される」という仮説を置きました。
日本人の正規労働者の平均月間就労日数20.9日/月を使って、一日あたりのご公務の時間を算出したところ、9.5時間/日(199.44時間 ÷ 20.9日)となり―― 正直愕然としました。
9.5時間/日 ―― これは、新入社員とか、初めて主任を任された30歳代前半の人間の話ではありません。ことし(2019年)4月30日にご退位された85歳の天皇陛下のお話です。
どんなブラック企業だって、ここまで過酷な労働を強いることはないでしょうから、私の計算プロセスのどこかに重大な瑕疵(かし)があると思っています*)。
*)私の父は昨年(2018年)88歳で他界しましたが、もし、私が父にこのような量の仕事を強いていたとすれば、間違いなく「事件」となっていたでしょう。
上記を読んで頂いた上で、平成28年8月8日に当時の天皇陛下が出された「お言葉」の全文を読んでみてください(面倒くさければ、下から2つ目のパラグラフだけでもいいです)。
ご自分の(過酷な労働?の)境遇には一切ふれることなくことなく、我が国の憲法に規定された、国家の装置(国家機関)と、象徴天皇の観点から、ただただ、国家と国民のことだけをご心配される内容になっております ―― 正直、胸を打たれました。
「天皇陛下の働き方改革」というものが、ものすごくデリケートで扱い難いことは、よく理解しています。"右"も"左"も、過激な奴はまだまだ多いですし、家族からも「このテーマ(天皇陛下のお仕事)を書くのは、やめてほしい」と頼まれたくらいです(書きましたけど)。
それでも、私たち国民が(×首相、×国会、×政府)は、当時の天皇陛下が、このような「お気持ち」を表明される前に、きちんと「動く」べきだったと思います。これについては、私たち国民が「怠慢だった」と非難されても仕方ありません。
なにより、この私が、このシリーズの連載を20回も続けていながら、最終回に至るまで、「天皇陛下の働き方改革」という観点に着想できなかったことについて、恥ずかしくて、床の上を転がり回りたいくらいなのです。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.