長時間労働=美徳の時代は終わる 〜「働き方改革」はパラダイムシフトとなり得るのか:世界を「数字」で回してみよう(61) 働き方改革(20) 最終回(7/9 ページ)
20回にわたり続けてきた「働き方改革」シリーズも、今回で最終回を迎えました。連載中、私はずっと、「働き方改革」の方向性の妥当性は認めつつ、「この問題の解決はそれほど簡単なことではない」という反骨精神にも似た気持ちの下、それを証明すべく数字を回してきました。これは“政策に対する、たった1人の嫌がらせ”とも言えます。そして最終回でも、この精神を貫き、“たった1人の最後の嫌がらせ”をさせていただこうと思っています。
働き方改革へのツッコミで浮き彫りにした問題点
では、最終回に際して、本連載(全20回)を、以下の図で簡単にレビューしてみたいと思います。
あらためて振り返ると、よくもまあ
―― 政府方針にケチをつけてくれる。たった一人でも嫌がらせをしてやる
という気持ちだけで、20回も連載をしてこられたものだと思います。しかしその一方、私は「働き方改革」の政府の実行担当者に、かなり良い「キラーパス」と渡せたという自負もあります。
私の、執着的で粘着的なシミュレーションの数々は、この「働き方改革」を進める上で直面するであろう「不都合な未来」を、そこそこの精度で予測していると信じています。
もっとも、この連載を書いているうちに、私の心の奥に隠れていた闇 ―― かなり非論理的で、非人道的な考え方 ―― が次々と浮き彫りになっていきました。正直、怖かったくらいです。自戒を込めて少し書き出しておきます。
まあ、それはさておき。
改革というのは、基本的に「痛い」ものです。「痛い」ことは誰だってしたくありません。しかし、われわれは……と主張する輩に、私は正直飽き飽きしています。
私は、この連載の中で、「何の手も打たない未来」を示し続けてきて、私は「痛みを伴う改革」と同じくらい、「痛みを感じないまま、穏やかな国家の死を待つ」という選択もアリだと思っています。
いずれにしても、私たちは自分たちの明確な意志で、どちらか一つを選び取り、それを実行しなければなりません ―― どんなに面倒くさくても、です。
それでは、今回のコラムの内容をまとめてみたいと思います。
【1】働き方改革シリーズの最終回として、「働き方改革の外側にいる人々」として、総理大臣、天皇陛下、会社社長および芸能人を例題として、その人たちの働き方調べてみました。このアプローチとして、働き方改革の強制力の一つとして法律(労働基準法等)が、これらの人々に届いていない実情を明らかにしました。
【2】総理大臣の働き方は、政府が推奨している働き方に対して、自ら実践している働き方のバラエティがまだまだ乏しく、改革リーダーとして国民へのアピールとしては不十分であることを示しました。また、天皇陛下のご公務の内容が、質量ともに重責に過ぎることを、現行のデータとご公務内容に費やされる時間(推測)を使って、定量的に示しました。
【3】また、芸能人としてAKBとお笑い芸人を登場させ、これらの職業を目指すことの困難性を明らかにすると同時に、現状の「働き方改革」では、このような困難性や投資対効果、存続期間などを定量的に計算する教育が必要であるという提言を行いました。
【4】さらに、お笑い芸人に関する労働が、法律(労働基準法等)で保護されにくい上に、契約で保護されない仕組みになっていることを示し、さらに、そのような分野に「働き方改革」の内容は今後も反映される可能性は小さい、という悲観的な見解を示しました。
【5】最後に、働き方改革に対する対応の一つに、「痛みを感じないまま、穏やかな国家の死を待つ」の選択肢はある、という個人的意見を述べました。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.