検索
連載

長時間労働=美徳の時代は終わる 〜「働き方改革」はパラダイムシフトとなり得るのか世界を「数字」で回してみよう(61) 働き方改革(20) 最終回(8/9 ページ)

20回にわたり続けてきた「働き方改革」シリーズも、今回で最終回を迎えました。連載中、私はずっと、「働き方改革」の方向性の妥当性は認めつつ、「この問題の解決はそれほど簡単なことではない」という反骨精神にも似た気持ちの下、それを証明すべく数字を回してきました。これは“政策に対する、たった1人の嫌がらせ”とも言えます。そして最終回でも、この精神を貫き、“たった1人の最後の嫌がらせ”をさせていただこうと思っています。

Share
Tweet
LINE
Hatena

“米国エリートサラリーマン風”江端が消えた理由


画像はイメージです

 さて、このシリーズ第1回の最後のページで、私は(例の無礼な後輩から)「“米国エリートビジネスマン風”江端は、どこへ消えたのか」と聞かれています。今回、その理由を開示して、この連載のトリとさせていただきたいと思います。

 なぜ、江端は、米国赴任からの帰国後2ヶ月で元に戻ったのか。

 その理由は簡単です。「変えない/変わらない方がラク」で、「みんなも幸せで、私も幸せだ」ということに気がついたからです。

 私は、自分の体得したノウハウを持ってきて、それを使って見せるだけでは、何一つ変わらない、米国で得たものを使いたいなら、「米国」を丸ごと日本に作らなければダメということが分ったのです。

 10や20のノウハウで変わるほど、会社という組織の「質量」は軽くありません。

 長い年月の中で動き続けてきた会社というシステムを、その一部の部品を取り換えるだけで変えられると思っているのであれば、能天気にも程があります

 会社という組織の中で、そんなことできる人間がいるとすれば、社長くらいなものだろうし、正直、社長ですら社内改革は難しいのです。社長が、人事権を人質にして、パワハラはもちろん、独裁と粛清の嵐を巻き起こす覚悟がなければ、「改革」と名のつくものは動き出しません。



 この話は、これまでなんども繰り返してきて、耳タコかもしれませんが、もう一度言わせて頂きます。

―― 私たちは、「変化すること」が嫌いである

 ティーンの頃は、クラス替えや席替えですら憂鬱(ゆううつ)でしたし、社会人になっても、人事異動にビクビクし続けています。そして、ありとあらゆる変化に対して、その内容の是非に関係なく抵抗します ―― われわれは、変化をしないことが国家消滅への道であったとしても、『全員で玉砕するならいいか』というDNAを持つ民族の末裔(まつえい)です。

 私が、米国から帰国して、それを思い知るのに、2カ月の時間が必要だった ―― それだけのことです。



 ぶっちゃけ私は、「働き方改革」は自分だけが生き残る為に利用するものであれば良いと思っています。正直、『組織や日本がどうなろうが、私の知ったことか』と思っています。

 再度、過去20回の連載をレビューして頂ければお分かり頂けると思いますあ、この連載の内容が、徹頭徹尾「私益」に徹していることに気が付かれるはずです。国家の尊厳や愛国心、組織に対する愛情や帰属感など、一欠片(ひとかけら)もありません。

 私は、変化に対する努力をしたくないのです。

―― 最小の努力による、最長の現状維持

 この「究極の後ろ向き保守思想」が、私、江端智一の本質です。



 私の見る限り、政府の「働き方改革」の前提となる社会分析は、かなり正確であり、「働き方改革」の方向性もおおむね妥当である、と思っています。ただ、その手法は「かなり乱暴」と思うことはあります。特に「時短」に関する労働法よる締め付けで、現場から悲鳴が上がっています。

 私が知る限り、過去3回、私たちは自分たちの努力だけで「時短」を成し遂げようと試み、おおむね失敗に終わってきました。

 しかし、今回の「働き方改革」には、これまでの3回とは違うものを感じます。どんなに、私(たち)が変化が嫌いであっても、さすがに“銃”(法律による罰則)を突き付けられたら動かざるを得ません。

 「働き過ぎたら、法律で罰せられる*)」 ―― 長時間労働が無条件に美徳とされてきた時代が、今、確実に、終息に向かいつつあるのを感じています。

*)正確には使用者のみが罰則対象なのですが、多くの会社では、従業員に対して懲戒(最悪は解雇)付きの社内ルールを制定し、この罰則が組織全員に広がるようにしています。

 それと、もう一つ。

 このような法律による締め付け以外で、私が期待していることは既に始まっている、「年間100万人人口減少社会」の影響が、具体的に社会の中で見えてきた時です。

 私たちが、この恐怖を実感できるようになった時 ―― 例えば、「隔年ごとに近くの小中学校が統廃合される」「高速道路から渋滞が消滅する」「渋谷のスクランブル交差点に無人の時間帯が発生する」とかが目に見えるようになれば ―― その時、私たちは本気で動き出すのかもしれません。

 このような恐怖によって、革命的な変化が起こった事例を、私は人生の中で一度だけ体験しています。「オイルショック*)」です。

*)“電力大余剰時代”は来るのか(後編) 〜原発再稼働に走る真の意図〜

 「オイルショック」の時に、この国は、産業構造をゴソっと変えることに成功しました。我が国は、日本全体のエネルギーの使用量を半分まで削減しつつ、その生産性を維持するという奇跡を成し遂げました。

 二度と起きないから「奇跡」と言うのかもしれませんが、私が、この「働き方改革」の最後のよりどころとしているのは、実のところ、この「奇跡」だけなのです


(謝辞)

 では、本シリーズ(働き方改革)の終了に際しまして、謝辞を申し上げます。

(1) 村尾麻悠子さま

毎度のことながら、私の原稿は膨大な量になるのですが、一度のクレームをつけることなく、ほとんど修正もなく、Web原稿として起こし続けて頂いたEE Times Japan編集部の編集担当の村尾麻悠子さまに感謝申し上げます。

一度だけ、村尾さまから、事実上の差し止めをされたことがありました(第17回(障害者雇用対策に見る、政府の覚悟と“数字の使い方"))。これについては、自分の書き方を見直し、かなりの部分を修正し、その方向性と表現方法について家族で話し合う機会も得ました。

私は、数字を人質に取った、暴言暴論のハチャメチャなコラムを書いているという自覚があります。それでも、そのようなコラムを皆様に読んでもらう作品として発表できているのは、村尾様はじめ、EE Times Japan編集部の編集担当のご監修あってのことと、あたらめて感謝申し上げます。

(2) 竹本達哉さま

編集長の竹本達哉さまには、「人工知能」の連載の時と同じように、「働き方改革」という江端の特性を完全に無視したオファーを頂き、最終的に口説き落されました。

とは言え、「この働き方改革のシリーズは、江端さんの主張したいこの全てを込めることができます」という口説き文句は ―― 最終回の今回を迎えて、改めて正鵠を得ていたと認めざるを得ません。

特に、第10回から12回の「介護編」については、自分の体験から得られた「介護の地獄」「長寿という拷問」「認知症という恐怖」を、多分、他のメディアでは記載できない表現で纏めることができたと思います。

私が、「誰」にまたは「何に」対して、怒り狂っていたかを、自分なりに整理することができたのは、この連載のチャンスを頂いたおかげです。改めて竹本さまに感謝申し上げます。

(3) 内閣府、政府各省庁の皆さま

内閣府および政府各省庁の皆様に感謝申しあげます。皆様が日々作成されている資料は、エンジニアである私が認定します ――「超一級品」である、と。

主観と論理破綻したブログ、背景整理のできていない連載(私の連載を除く)や論文なんぞを読むくらいなら、皆様が作成してWebで発表されている資料を読む方が「圧倒的に楽しい」です。

残念なことに、これらの資料に対するPR活動が十分でないように思います(折角の資料が、これでは届かない)。これからは、もっと多くの国民に読まれるような情宣活動を期待したいです。

特に今回は、電話での問い合わせに丁寧に対応して頂いた、厚生労働省の皆様に感謝申し上げます。



以上、全20回、約2年弱の連載にお付き合いいただいた読者の皆さまに、最大の感謝を申し上げ、「世界を「数字」で回してみよう ―― 働き方改革編」を完結致します。

誠にありがとうございました。

2019年8月

江端智一

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る