見せろ! ラズパイ 〜実家の親を数値で「見える化」せよ:江端さんのDIY奮闘記 介護地獄に安らぎを与える“自力救済的IT”の作り方(4)(4/6 ページ)
介護にまつわる話題において、よく聞かれるのが「誰にも迷惑をかけたくない」という言葉です。この“迷惑”という観念に対する対処法を考える時に、外せないのが「尊厳死」と「安楽死」です。被介護人が、全く意思疎通ができない“ブラックボックス”のような状態になった時、あなたならどうするでしょうか。そして、自分がその立場ならばどうされたいでしょうか。後半では「ラズパイ」を使い、実家の親の日常を数値とグラフで「見える化する」方法をご紹介します。
ソリューションが、ないわけではない
しかし、ソリューションが全くないかと言えば、実際のところ、やれることはあります。もちろん、完全解決には程遠いことではありますが、介護フェーズに入る前、または重篤な介護フェーズに至る前なら、できることはあるのです。
今回は、#4の「尊厳死の宣誓書の作成」についてお話したいと思います。
私たち日本人が「老い」を恐れている理由の一つには、「自己決定死」の権利がないから、といわれています。年間2万人超の自殺者がある我が国には「死ぬ権利」は明文化されていません。
そもそも、自殺というのは、相当に恵まれた人の特権的行為なのです。まず、自殺する場所を決定する知能があり、自力で自殺方法を実現するだけの体力がある ―― これは、自力で考えることが難しく、自分の体を移動させることもできない、被介護者から見えれば、『のどから手が出るほど、うらやましい』ことなのです。
被介護者が自殺を果たすためには、第三者の支援が必要となりますが、他人の自殺を手伝った人に対する罰(刑法第202条)に対しては、司法は容赦ありません。自殺教唆・幇助(ほうじょ)は刑罰の対象である」という点で揺るぎがありません*)。
*)こちらの記事に相当詳しく記載していますので、興味のある方はご一読ください。
つまり、誰かに殺人犯になってもらわない限り、被介護者は「自殺」ができないのです。
我が国には、「自己決定死」の権利がありませんが、「安楽死」について何も認められていないかというと、実はそうでもないのです。
法令では明文化されていませんが、我が国は、司法が、安楽死を条件付きで認めているのです。ちょっと、ここから少し面倒くさいのですが、我慢してお付き合いください。
我が国には、3種類の安楽死があります。「(1)積極的安楽死」「(2)間接的安楽死」「(3)消極的安楽死」です。これらの違いを、ものすごく乱暴にまとめるとこんな感じです。
(1)積極的安楽死:医師が死を目的とした処置を行い、死ぬこと
(2)間接的安楽死:医師が苦痛回避を目的とした処置(の途中)で、死ぬこと
(3)消極的安楽死:医師が(患者による希望で)措置を何もしないことで、死ぬこと
―― ん? どこが違うの? と思われる方もいるかもしれませんが、この3つは、決定的に違います。
もう少し具体的に説明します。
一言で言えば、死に至らしめるプロセスが違うということです。「死ぬのを積極的に手伝う」と「死に至る状態を放置する」の違いです。
厳密に言えば、「死に至る状態を放置する」も、医者にとっては不作為の殺人罪*)になりますが、『本人の事前の意志(リヴィング・ウィル)があれば認められる』とする考え方が「尊厳死」です。
*)不作為の殺人の例としては「吹雪の中、タクシーから降りたところで酔っ払って眠りこけた乗客を、そのまま放置して立ち去ったことで、乗客が凍死した」などがあります。
もちろん、リビング・ウィルがあったとても、それが法的効力を発生させるものではありません。医師には、常に「不作為の殺人罪」のリスクがついて回ります。
実際に、日本尊厳死協会が内閣総理大臣に対し、公益認定申請をしたところ、「医師を治療中止へ誘引する等の悪影響(法的な不利益)を与える可能性がある」との理由で不認定処分されました(しかし、その後、2年間の裁判によって不認定処分の取消(内閣総理大臣の負け)が確定しました(2019年11月14日))。
ともあれ、近年の「尊厳死」に関する意識の高まりもあって、この「リビング・ウィル」の提示によって、人工的な延命処理を行わないことに同意する医師は増加傾向にあるようです (日本尊厳死協会(参考資料)。
しかし、この「尊厳死=消極的安楽死」に対しても、まだ現場ではリスク回避の考え方があります。いわんや、積極的に死ぬのを手伝う「安楽死 = 積極的安楽死」について、医師が忌避するのは当然です。
しかし、司法は、何がなんでも「安楽死 = 積極的安楽死」を禁止している訳ではないのです。実は、司法も4つの条件を見たせばOKという判断を示しています ―― が、はっきりいって、
―― そりゃ無理だろう
というような条件になっています。
医師が安楽死の処置ができる条件の司法判断4条件(東海大学安楽死事件(1991年))は以下の通りです。
(1)耐えがたい肉体的苦痛があること、
(2)死が避けられずその死期が迫っていること、
(3)肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと、
(4)生命の短縮を承諾する患者自身(×家族)の(リアルタイムの)明示の意思表示があること
この最後の(4)が大問題なのです。
―― 終末期の苦痛に苦しむ患者本人の、リアルタイムの明示の意志表示?
『そんなムチャな』と思いました。
しかし、この判決文の内容は、「すごい」です。
医師(被告)、患者、患者の肉親の間で繰り広げられる一級のルポルタージュであり、ノンフィクションであり、手に汗握るドキュメンタリードラマです。
そして、司法(裁判所)が、この4条件を示すに至るまでのロジック構築に四苦八苦する姿があり、その一方で、あまりにも被告に厳しすぎるのではないかという指摘があり、そして、恐らくは
―― 司法も、検察も、人間としては、医師を有罪にしたいなどという気持ちはなく、
―― とはいえ、この事件を有罪判決としなければ、これ以後の同じ事件(安楽死事件)に対するルールにはならず、同じ事件が頻発する(最悪、悪用される)ことになる
という苦悩があますところなく描かれた、名(判決)文です。
ぜひご一読をお勧め致します ―― けど、多分、読まない人がほとんどだと思うので、以下に、江端の心にヒットした部分をピックアップしておきます。
特に、私がショックを受けたのは、苦しそうに見える患者が、実際は苦しんでいないかもしれない、という事実でした。医薬で意識がなく苦痛を感じることができず、単なる生体反応にすぎないことがある、ということに驚いています。
実は私、ぶっちゃけてしまいますと、尊厳死も安楽死も、正直なところどうでも良くて、私が興味があるのは、「無痛死」―― この一択です。これは、冒頭の「父を『殺す』決断を下すこと」を行った時の、私の考え方の根幹です。
私は、痛いことが、もう徹底的にダメで嫌いなのです ―― どのくらいダメかと言うと、苦痛を伴う拷問を受ければ、「3秒後に家族を売る」くらいの自信があります。
で、私のこの苦痛への絶対的な恐怖は、「胃カメラ」が作り、そして、「無痛死」についての果てしない思いは「無痛胃カメラ」が作りました(著者のブログ)。
胃カメラがなければ、私は、(広義の)安楽死に対して、これほどまでの、狂ったような執着を示すことはなかったと断言します。
私が怖いのは、「ブラックボックスとなった私が、外部に苦痛を伝えられないまま、長時間の苦痛にさらされ続けて死んでいくこと」です。この苦痛だけが、今の私の、たった一つの最大にして最期の恐怖なのです。
だから私は、今真剣に、心から問うているのです。
―― 一体、誰が私を殺してくれるのか?
と。
そして、現時点で、誰もそれを担保してくれないのです。
「尊厳死 = 消極的安楽死」は、現時点での、私の唯一の希望ではありますが、正直、それでは「無痛死」という観点では、まだまだ山ほどの不安があります。
そして、現状の法律や医療の観点から、「安楽死 = 積極的安楽死」が、到底無理であるというのは、これまでの検討で理解できました。
それでも、私は、「私を殺してくれる人」が登場することを、心の底から切望しているのです。
「リビング・ウィル」というものもある
ですが、やってこない人を待っていても無駄です。ならば、今の自分でできる範囲のことを、やるしかありません。
そこでまず私は、ネットで日本尊厳死協会にコンタクトをとって、同協会の規定する「リビング・ウィルのたたき台」を送付してもらいました。
この協会は、法律的な効力を持つ団体ではありませんが、尊厳死を望む人にとっては、大きな後ろ盾(安心)となってくれる、年間入会員数6000人、現在11万人の会員数を擁する団体です。
送付されてきた書類(リビング・ウィルのたたき台)に、必要事項を記載して協会に返信すると、会員証と原本の写し2通を送り返してくれます。
この2通のうち、一通を自分が持ち、もう一通を、いざという時に頼れる方(家族等)に渡しておきます。
医者が、無作為リスクを回避して、延命治療を継続しようとした時には、これを提示することで、延命治療を回避させられる「可能性が高く」なります。
医者にとっても、11万人の顧客(患者)を敵に回すことは、訴訟リスクより高いリスクになるかもしれないからです。
年会費2000円、終身会費7万円ですので、それほどの出費にはならないと思います。介護だけではなく、不測の事故などのことも考えれば、早めに入会しても良いと思います。
ただ、私、送付されてきた「リビング・ウィルのたたき台」を読んでいたのですが、『ちょっとこの記載では足りんなぁ』と感じました。私の切望する「無痛死」に関する記載が「弱い」と感じたのです。
そこで、私は、日本尊厳死協会のテンプレートではなく、自前で「リビング・ウィル」を作って、それを地元の公証役場に持っていくことを考えています。
調べてみたところ、「リビング・ウィル」を自分で作成して、自分で手続すれば、1万1〜3000円程度でできるようです。
まずは、私の作成したドラフト案を掲載します。
このドラフト案に関する、私の狙いは以下の通りです。
さて、後日、このドラフト案を持って地元の公証役場に行ってきます。来月には、その様子をお知らせできると思います。
ちなみに、本ドラフトについては、(後ほどご登場頂く)大学病院のお医者さんからレビューを頂き、「現場の医師の業務を混乱させるダブルスタンダード」が含まれている旨の問題点を教えて頂きました。次回、このお話をさせて頂きます。
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