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もはや怪談、「量子コンピュータ」は分からなくて構わない踊るバズワード 〜Behind the Buzzword(1)量子コンピュータ(1)(6/9 ページ)

「業界のトレンド」といわれる技術の名称は、“バズワード”になることが少なくありません。世間はそうしたバズワードに踊らされ、予算がバラまかれ、私たちエンジニアを翻弄し続けています。今回から始まる新連載では、こうしたバズワードに踊らされる世間を一刀両断し、“分かったフリ”を冷酷に問い詰めます。最初のテーマは、そう、今をときめく「量子コンピュータ」です。

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有名な2つの解釈

 当然、物理学者もこの現象を黙って見ていた訳ではありません。この「気持ち悪さ」に合理的な解釈をしようと努力してきました。

 この「現象」に対して、後付けで「解釈」をするという考え方は、奇妙なようにも思えますが、物理の世界では結構あるようです(参考:物理学70の不思議)。

 この中でも、最も有力で有名な2つの解釈をご紹介します。

 まず一つ目は「コペンハーゲン解釈」です。

 簡単に言うと、量子というのは、「複数の状態を持ちながら常に変化し続けていて、観測することで状態が収束する」そして「その収束結果は確率で決定する」という考え方です。

 上記の実験結果を、そのまま文言に落としただけで、「だってしょうがないじゃん。そういうものなんだから」と開き直っている内容とも読めます。

 で、この考え方にかみ付いたのが、アインシュタインさんの「神はサイコロを振らない」であり、シュレーディンガーさんの「シュレーディンガーの猫」です。

 私、今回の連載で調べるまで知らなかったのですが、「シュレーディンガーの猫」は、このコペンハーゲン解釈を現実世界の現象で説明するための道具的な考え方と思っていましたが、まったくの逆でした。

 「シュレーディンガーの猫」の話は、あまりにも有名なので詳細は割愛しますが、要するに、上記の実験装置において、実験開始から29.99999……分までは、「確率50%で生きていて、確率50%で死んでいる―― そういう猫」が存在している状態にあり、江端が扉を開けた30分ジャストタイムに「生死が確定する猫」が存在する、ということです。

 「こんな"気持ち悪い猫"がいるか!」と言われれば、その通りだと思います。

 では次に、2つ目の解釈、「エヴェレットの多世界解釈」をご紹介します。

 ただ、この解釈も、コペンハーゲン解釈と同様に、説明がしにくいです(正直、現時点で、私も理解できているとは思っていません)。

 ですので、こちらの解釈の説明は、江端の理解した範囲の内容で押し通します。

 この世界観は、そのまま「シュタインズ・ゲート」シリーズ他、多くのアニメやSFで採用している考え方です。

 「ここではない、どこかの世界線の私」という考え方は、中二病だけでなく、仕事や恋愛やトラブルで苦しくなった時の逃亡先ですし、さらに言えば、宗教で説く「あの世」も、「死後も生き続ける自分」の多世界の中の一つと言えます。

 ただ、私が(現時点で)理解できていないことは、前述の電子銃の実験結果と、この解釈が当てはまらないことです。「ある世界の中で電子銃であれば、必ず同じ場所に弾丸(電子)が到着するんじゃないの?」と思えるのです。

 そうなっていないということは、電子銃も電子も、そして私たち自身も、弾丸を一発打つたびに、多世界を高速で移動し続けていることになります(考えただけで、忙しくて疲れ果ててしまいそうです)*)

*)「シュタインズ・ゲート」シリーズ風に言えば、α世界線とβ世界線を、1秒ごとに往復しているようなイメージです。

 しかし、私たちが、頻繁な世界移動を続けているのであれば、どうして「記憶」だけ共有できているのかの説明ができません。共有していなければ、あの気持ちの悪い電子銃の実験結果を観測することはできないはずです。

 α世界、β世界、その他の世界も全部を記憶しているのであれば、実は私たちは、全員、岡部倫太郎のような「リーディングシュタイナー(世界線を移動しても記憶を維持できる能力)」を持っていることになります。

 いずれにしても、「コペンハーゲン解釈も多世界解釈も、どっちも"ブッ飛んでいる"点では同じ」であり、「量子の振る舞いは、そういう解釈を持ってこなければ、到底説明できない」ということです。

 なぜ私がここまで長々と、量子論(みたいなもの)の説明を続けてきたかというと、「量子という気持ちの悪い振る舞いをするものがある。この気持ちの悪い量子の振る舞いを、うまいことバクって使い倒すのが、量子コンピュータである」ということを言いたかったのです。

結論:「量子」の捉え方は、どうでもいいです

 さて、ここまで長々と、量子の「気持ち悪さ」についてお話ししてきましたが、今回の連載のシリーズ「量子コンピュータ」において、「量子」をどのように考えるかについては、どーだっていい、とします。

 量子コンピュータを理解するのに、量子論の解釈など不要ですし、むしろ邪魔だからです。

 これもバズワードの弊害です。量子コンピュータの記事の多くは、中途半端に量子論を持ち出して、唐突に、量子ビットの話を持ち出して、量子ゲートの話に持ち込みます。訳が分かりません。読者を混乱させようとする悪意があるのか、と思えるくらいです。

 それはさておき。

 量子コンピュータを理解する上で、量子論など「考えても無駄」です。私がこの連載で私にできることは、先人の考えをなんとか理解して、それを図面と文字に落すだけで精いっぱいです。

 そして、量子コンピュータは、量子を直接使う訳ではありません(使うものもありますが、難しいようです)。量子の「フリ」ができるものが準備できれば十分です(もちろん、その「フリ」ができるものを、作るのも、使うのも難しいです)。

 さらに、理解しなければならない面倒ごとが多いからです。その筆頭が数学ですが、我が国は、世界に冠たる数学嫌い国です(参考)。

 量子コンピュータを知る上で、三角関数は言うに及ばず*)、複素数計算を避けて通ることはできないと思います。

*)関連記事:「リカレント教育とは、“キャリア放棄時代”で生き残るための「指南書」であるべきだ

 私は、量子コンピュータの記事を記載しているライターが、必ずしも三角関数と複素数計算ができなければならない ―― とは思っていません。

 ならば、分からないことは、「分からない」と書くべきです。「分からない」と書くことで、量子コンピュータが『訳が分からん』ことが読者と共有できれば、十分有用だと私は思うのです。

 いずれにしても、「量子コンピュータ」において、「量子」をどのように考えるかについては、どーだっていいのです。

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