1ミリでいいからコロナに反撃したいエンジニアのための“仮想特効薬”の作り方:世界を「数字」で回してみよう(63) 番外編(7/7 ページ)
私は今、新型コロナウイルスに対して心底腹を立てています。とんでもなく立腹しています。在宅勤務が続くストレスと相まって、もう我慢ならん! と思っています。1ミリでいいから反撃したい。たとえ、その行為がコロナの終息に、直接的には少しも貢献しないとしても、自分が納得するための反撃の手段が欲しい――。そう考えていた矢先のことでした。あの“シバタ先生”から、予想の斜め上を行く提案を頂いたのは。
自宅PCのスペックで医薬設計が可能になりつつあるという「希望」
後輩:「なんか、今回のコラム、要旨がバラけて感じるなぁ、と思ったのですが、ようやく理解しました。お二人の主張点がズレているんですね」
江端:「というと?」
後輩:「江端さんは、『最近のITを使った医薬製造に関する、ソフトウェアエンジニアとしての驚がく』が、メインの主張点ですが、シバタ先生は『人類を救う医薬の開発体制の不整備(×未整備)や権力者のリーダーシップの欠如に対する憤怒』です」
江端:「なるほど」
後輩:「まあ、技術者(ITエンジニアと医師)の違いもありますが ―― 人間としての格の違いも露呈していますねえ」
江端:「ほっとけ」
後輩:「まあ、今回は、レベルを下げて、江端さんの主張点の方に合わせて、コメントしてあげますよ」
江端:「……『ありがとう』と言えばいいのかな」
後輩:「江端さんは、多分、今回、COVID-19を含めたウイルスの感染メカニズムを、読者に伝えたいという気持ちを込めて、このコラムを書いたんですよね」
江端:「今回の、お上(政府や地方自治体)の外出や休業の要請に対して、私は、(珍しく)素直に従っているのだけど、それは、今回の要請が、COVID-19ウイルスの性質を観測した上での、数学 ―― といっても初歩の確率論と統計学くらいだけど ―― に基づいた施策だからなんだ」
後輩:「……つまり?」
江端:「施策の根拠が、クリアになっていて、私の腹に落ちるものになっていれば、そんでもって、それが科学的であれば『従いやすい』ということ。ただ、安易な納得にはリスクもあるので、注意は必要だけど*)」
*)国家権力による科学の悪用の例としては、「優生学に基づく人種政策」などがある
後輩:「それで?」
江端:「敵(COVID-19)の実体や戦略(感染メカニズム)を理解しておくことは、きっと『有用』だし、何より、敵(COVID-19)の攻撃方法が事前に分かっているのは、すごく『安心』だよね」
後輩:「まあ、そこまでは良いとしましょう。しかし、残念ですが、今回の江端さんの『ソフトウェアエンジニアとしての驚がく』の方は、ほとんどの読者には伝わりませんよ」
江端:「なんで?」
後輩:「だって、私たちのほとんどは、COVID-19のクスリやワクチンの製造プロセスには、全く興味ないから。私たちの興味は、『クスリ』『ワクチン』そのものですから。特効薬やワクチンが『ある』か『ない』か。『ない』なら、”研究機関、製薬会社、誰でもいいから頑張って作れ! 政府なんとかしろ!”。これだけですよ」
江端:「……」
後輩:「江端さんの思考形態である『エンジニアリングアプローチ』を、読み手に強要するのは、”暴力”ってもんです」
江端:「……分かった。百歩譲って、『私の想いが、多くの読者に伝わらない』というのは認めよう。だが、エンジニアなら、特に、ITエンジニアであれば、伝わるだろう?」
後輩:「あーー、それですが、そっちも正直期待できないと思います」
江端:「何で?」
後輩:「江端さんは、今回の「自宅のPCで、2000塩基の創薬のコア情報を導き出す、dry laboratory」の”アルゴリズム”に驚がくしたんでしょう?つまり、3万塩基のウイルスの塩基列を破壊しつつも、合計60兆塩基を越える人ゲノムの破壊を最小限にする、siRNAの塩基列パターン抽出の”アルゴリズム”ですよね」
江端:「その通り」
後輩:「江端さん。近年のITエンジニアの仕事は、NP困難の『組み合わせ爆発』などで、地獄を見てきた江端さんの仕事とは、そもそも立ち位置からして違うんですよ」
江端:「?」
後輩:「近年のITエンジニアは、クラウド上で、インスタンスを組み合せる仕事がほとんどですよ。アルゴリズムにしても、OSSのライブラリにあるものを引っ張り込んで、組み込めれば、それで足りるのです」
江端:「……」
後輩:「もちろん、医薬製造のアルゴリズム開発に命をかけているITエンジニア(研究者を含む)もいるでしょうが、そういう人にとっては、江端さんの説明は『簡単過ぎる』し、そうでない人にとっては『難し過ぎる』のです」
江端:「うーん、確かにそうかもしれない。多くの読者にとっては、役に立つコラムにはなっていないかもしれないかなぁ」
後輩:「いや、私が思うに、今回のコラムには2つほど意義があります。自宅のPCのスペックで医薬の設計が可能になりつつある、という事実は、COVID-19の終息に向けての人類の大きな希望です。OSSなどで公開された技術が、驚異的なスピードで進歩していくことは、Linux OSをはじめとして、もう世界中の人がよく知っていることです。dry laboratoryであれば、OSSと同じ枠組みで開発できるはずですから」
江端:「もう一つは?」
後輩:「その『驚異的なスピードの進歩』を、どこの、誰が、どのように、邪魔しているか、そして、その邪魔を取り除いて、開発プロジェクトの陣頭指揮を取るべき人間が、いかに『働いていないか』、ということがクリアになる、ということです」
江端:「――おや? そう来る? 今回は、『江端さんの主張点の方に合わせる』んじゃなかったっけ?」
後輩:「そこは、それ。私だって、何も考えずに生きているわけではありませんよ ―― ですが、この問題、突き詰めて行くと、『誰に(どの職種、どの企業に)銃口が向いていくか』は、江端さんだって気がついていますよね」
Profile
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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