あの医師がエンジニアに寄せた“コロナにまつわる13の考察”:世界を「数字」で回してみよう(64)番外編(4/13 ページ)
あの“轢断のシバタ”先生が再び(いや、三たび?)登場。現役医師の、新型コロナウイルスに対する“本気の考察”に、私(江端)は打ち震えました。今回、シバタ先生が秘密裡に送ってくださった膨大なメール(Wordで30ページ相当)に書かれていた、13の考察をご紹介します。
【考察3】“8割おじさん”の話をザックリ解釈してみる
「8割おじさん」 ―― 西浦博 博士(以下、西浦先生と、記載させて頂きます)の考え方を、私なりに解釈してみました。
西浦先生の基本的な考え方は、こちらの資料が参考になると思います。
先日、江端さんにはこのURLをご送付したのですが、その後、江端さんは、何かの計算を試みられているようです(難航されているようですが)*)。
*)江端ツッコミ:西浦先生は、純粋に数理モデルからアプローチされています。そこで、私は、人流移動シミュレーションで、西浦先生のモデルの追試できないか検討していますが、シミュレーターの作成でスタックしています。
まず、今回のコロナ禍における西浦理論を理解するためには、基本再生産数R0と実効再生産数Rtを理解することがキモになります(実効再生産数はRと表現されたりRtと表現されたりしますが、ここではRtで統一します)。
再生産数は、皆さんが誰もが一度は聞いたことがある言葉である「出生率」と実は意味はほぼ同じです。理論的には国内の女性1人から平均2人の子どもが誕生すれば、「出生率=2.0」となり国内の人口が維持できます*)。
ただ、実際には出生児の男女比が男児に若干偏っており、なおかつ再生産年齢までの死亡が加味されますので、人口維持には出生率=2.1が必要です。(ちなみに、日本の出生率は、今、1.36で、現在「少子化まっしぐら」状態です)。
基本再生産数R0は、治療薬もワクチンも、疾患に対するいかなる介入も無い初期状態で、1人の感染者が平均何人に伝染させるのかの人数の平均値です。ここでは、新型コロナウイルス固有の感染ポテンシャルと考えて頂いて結構です。
これに対して、実効再生産数Rtはさまざまな介入によって変化した後の再生産数を表します。ですので、意味としては人口学の「出生率」はRtに相当するということになります。
当初、COVID-19の基本再生産数R0は約2.5と報告されていました。R0=2.5が定数であり変化しないと仮定した場合、当然のことながら、感染拡大は指数関数的に広がり続ける ―― ようにも思えます。
しかし、実際には、そうはなりません。
COVID-19に罹患した後に回復し、抗体を獲得できた人は、その後COVID-19のキャリア(COVID-19ウイルスの運び人)にはならなくなる(ことになっている)ので、上記のR0の対象外になります。
とはいえ、全世界全ての人間が感染すると仮定して、ここに、乱暴に「ダイヤモンド・プリンセス号」の死亡率2%(ただ、日本の医療介入があった上での”2%”ですので、発展途上国での数字はもっと高いかもしれません)を適用すれば、世界で1億5400万人、日本国内だけでも、253万人が死亡する計算になります(ちょっと計算が乱暴すぎますが)。
話を実効再生産数Rtに戻しますが、まず重要な点として、
基本再生産数R0と、実効再生産数Rtは性質が全く異なります。
基本再生産数R0は介入前の定数、つまり、変えられません。しかし、実効再生産数Rtはさまざまな条件により変わるのです。つまり、人類1人1人の行動により増やすことも減らすこともできる数字なのです。
具体的に言えば、基本再生産数R0に、医療としての入院による隔離や今後期待されるワクチン、そして、これが最も大切ですが、“Stay Home”や”ソーシャルディスタンス”、“マスクの着用”などの1人1人の努力によって、人為的に力づくで引き下げることのできる数値です。
たとえ、COVID-19のR0が2.5あろうとも、ワクチンがまだ手に入らなくても、1人1人の力でRtを1.0より小さい値にしてやれば、理論上、COVID-19を地上から消滅させることができます。Rtを1.0に維持し続けることができれば、この闘いをイーブン(感染拡大を止める)に持ち込めます。
ここで、西浦先生の6割理論、8割理論が登場します。
巨視的に見れば、接触人数を減少させれば、本当に力ずくで実効再生産数Rtの値を小さくすることができます。簡単に言えば、接触人数が6割減れば、接触人数は(1−0.6=)0.4倍になります。
接触者数6割減の場合、Rt=2.5*(1−0.6)=1となり、感染者数は横ばいになります。
さらに、接触者数8割減の場合、Rt=2.5*(1−0.8)=0.5となり、新規感染者数は感染サイクル(7〜21日の間、大体10日間くらい)で半数になります。
上記の説明はとても単純ではありますが、西浦先生の描いたグラフと一致する結果が得られます。(計算に自信がありませんでしたが、西浦先生のいらっしゃった教室のHPを見る限り、考え方はこれで正しいようです。
ところで、実効再生産数Rtが、各ウイルスにとって「生物学的に固有な定数では無く、1人1人の努力によって変化可能な変数である」ということをきちんと明示している記事が少ないような気がしました*)。
*)江端ツッコミ:ここはハッキリと「そんな記事はなかった」と言い切ってもいいと思います。
自分の理解の整理のためにも、再度解説を致します。
実効再生産数Rtは、「ウイルスの性質や感染力(R0のこと)」と「ヒト集団の状態という社会な要因」という2つの変数のかけ算により変動する数値です。
例えば、山小屋に自給自足で一人生活している環境では、コウモリからSARS-CoV-2に感染しても、感染の連鎖は起こらず、Rt=0で伝染終了です。「マスク無し」「換気無し」の満員電車で1時間通勤している集団における実効再生産数Rtは……あまり想像したくありません。
一方、基本再生産数R0は、「免疫が無く、かつ、感染の伝播(でんぱん)に対して無介入の集団において、1人が何人に感染させることができるか」の、観測による平均値です。よく定数のように扱われます。数理的に決まるので、ある種定数的な性質を持っていることは確かです。
先ほど、私は、基本再生産数R0はCOVID-19の感染ポテンシャルで、実効再生産数Rtは、それに対抗する私たちの努力の結果が反映されたもの、と申し上げましたが、実は、基本再生産数R0も自体も、厳密には固定された定数ではないのです。
同じウイルス、同じ免疫の無い集団であっても、国によって、人口密度や文化、生活習慣の違い(ハグ、チークキス、握手、よく怒鳴る、痰を道に吐く、パーティーを好む、マスクを嫌うor好む、満員電車の有無等々)によって、基本再生産数R0にもかなりのばらつきが生じることは、簡単に想像できるかと思います*)。
*)Wikipediaの定義でも、「文献における値は特定の文脈においてのみ意味があり、古い値を使用したり、異なるモデルに基づく値を比較したりするべきではない」と記載されています。
日本と海外の基本再生産数R0は、そもそも異なるのです。更に言えば、各都市によっても、基本再生産数は異なるハズなのです。ちなみに東京における基本再生産数は、2.86(95%信頼区間は2.73から2.97)と見積もられています。当初中国で報告されたR0=2.5より大きいです(参考)。
それでも、論文上の東京のR0=2.86であったとしても、8割減が達成されればR=2.86*(1−0.8)=0.572<1ですので、収束に向かうはずですし、実際見事に終息しました。
西浦先生は、「人と人が接触しなければ感染は広がらない」という直感的に当たり前の事象に対して、数理的な根拠と数値的な目標を与えてくれました。
もしも2020年4月16日の緊急事態宣言時に、数値目標も無くただやみくもに「とにかく外に出るな! 多分それで何とかなる! どれくらい我慢すればいいかは知らん!」と言われていたら、恐らくは自粛など到底できなかったでしょう。
具体的な目標があったから頑張れたのです。その意味で、批判をおそれず明確な道筋を示して頂いた西浦先生には敬意を表したいと思います。
ちなみに、米国のニューヨークのR0はなんと6.4との報告があります(参考)。
これが正しい数値かどうかは分かりませんが、人との接触を8割削減してもRt=6.4×(1−0.8)=1.28>1であり、横ばいにすらなりません。
ニューヨークで接触減によって実効再生産数Rtを0.5にするためには、人との接触を、なんと今までの93%も減らす必要があると計算されます。
日本の外出自粛でも実際には8割接触減とはなっていなかった現実を思い起こすと、米国での感染制御は、なかなかシビアであると言わざるを得ません。中国では感染が終息し、米国では感染が発散した……このおおもとには、各都市、各文化圏により生じる基本再生産数R0の差が大きく影響しているようです。
さらには、集団免疫獲得のために必要な感染者数の割合は、数理的に1−1/R0で求められます。
計算上ではありますが、日本ですら集団免疫の獲得は困難(7600万人以上の感染が必要)で、R0が大きな米国ではさらに絶望的な数字(2億7600万人以上の感染が必要)となります。
注意点は、毎年新たに人類が再生産されている点です。人類の希望である「赤ちゃん」という、未感染で免疫まっさらの人間が毎年集団に追加されるということです。
ざっくりした概算ですが、全員が80歳で寿命を迎え、かつ、各年齢が等しくX%罹患する仮想集団において、死亡率を無視すると、感染者数の積分は図の台形部分になります。
集団免疫獲得Yは60%以上が必要なので上の逆三角形部分は40%です。ここからXを計算すると、64歳となります。
つまり、ざっくり64歳までに全ての人が感染しないと集団免疫に到達しません。この際の傾きが感染率であり、100%÷64年で、年間の感染率は平均1.56%以上が必要です。つまり、日本ならば毎年196万人以上の感染が必要です。
現時点での抗体陽性率を見ると、現状では「集団免疫獲得の前に世代の入れ替えが起こってしまう」=「集団免疫獲得は不可能」 ―― つまり、集団免疫獲得でCOVID-19が消滅する前に、私たちの方が先に寿命で死んでしまい、次の世代が誕生し、その世代が感染する、ということを永遠に繰り返すことになる ―― ということです。
前提条件として、これは感染者が全員終生免疫を獲得すると仮定した場合の数字ですので、「免疫獲得率が低い」「獲得した免疫が徐々に弱る」等の場合にはさらに必要感染者数は増大します。
逆に、実効再生産数Rtを下げることができれば、集団免疫獲得に必要な感染者数はぐぐっと減ることになります。
それにしても ―― もしも”陽キャ”と”パリピ”が多数存在し、サラリーマンは24時間頑張り続け、満員電車の乗車率が今よりも更に高かったあの時代、社会活動度が非常に活発だったバブル最盛期の東京でCOVID-19が猛威をふるっていたならば、基本再生産数R0は、きっと現在想定される2.5〜2.8よりもかなり大きな数値、恐らくはニューヨークの数字に近かった可能性もあるでしょう。
現在感染が急拡大している地域と同じような状況が東京でも引き起こされていた可能性は、否定できません。失われた20年を過ごし、陽キャとパリピは激減し、ゆとり世代から悟り世代へ……。感染をまん延させない素地が現代日本にはあった、と言うことです。
この時代の日本だからこそ、初期の感染速度がここまでゆっくりだったのかも知れませんが、誰も証明しようと思わないような命題ですので、真実が明らかになることは無いでしょう。
これまでに繰り返してきた通り「実効再生産数Rt」は、「ワクチン接種や市民の行動に介入した後の再生産数」です。同じ性質のウイルスでも、いわゆる「3密前」の社会と、「3密後」の社会では、1人から感染する患者の平均数に差が出るのはあきらかです。
全員がマスクをする社会と、誰もマスクをしていない社会でも、恐らく差があるだろうと思います。逆に、Rtが人の社会行動で制御できるからこそ「3密を避ける」「マスクを着ける」という戦略が採れるのです。
実効再生産数を減少させる最大の社会的手法が「ロックダウン」で、これは海外の各国で取られた手法です ―― いわゆる「接触を10割(100%)減らそう = 社会活動を(一時的に)全て停止する」です。
前記の通り、ニューヨークのように社会的素地としてR0が相当大きな地域では、確かにロックダウンをせざるを得なかったのは、論理的に正しい判断に思えます。
しかし、日本は驚異的なことに「営業自粛と休校」のみで、Rt<1を実現し、新規患者数を減らすことに成功しました。
これは、ひとえに各個人、各事業所、各企業、家庭を支えたお母さんやお父さんたち、そして子どもたちの努力のたまものです。本当に頭が下がります*)。
*)江端ツッコミ:ご存じの通り、現在、特にここ2〜3日の、東京の成績は非常に芳しくありません(ということになっています)。2020年7月21日現在、陽性反応の感染者は200人前後で推移しており、緊急事態宣言前の状況より悪化しています。
ただ、今回の陽性感染者数は、緊急事態宣言の頃と違って、「東京都から感染者を調べに行く」とか「希望者も検査を受けられるようにしている」ものであるという状況や、感染者の受け入れ体制も以前に比べれば、格段に改善している、なども勘案して、むやみやたらに怖がるべきではないと思っています(と言いつつ、会社や娘の学校でも陽性感染者が出てきており、ジワジワと身近に迫っている感じもしますが)。
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