日本の半導体ブームは“偽物”、本気の再生には学校教育の改革が必要だ:湯之上隆のナノフォーカス(39)(4/6 ページ)
今や永田町界隈は「半導体」の大合唱であるが、筆者はそれを「偽物のブーム」と冷めた目で見ている。もはや“戦後の焼け野原状態”である日本の半導体産業を本気で再生するには、筆者は学校教育の改革から必要だと考えている。
歴史的に見て日本政府や経産省の政策に成功例無し
6月1日の衆議院の意見陳述でも述べたことであるが、1980年中旬以降、日本政府や経産省が行った政策で、日本半導体産業のシェアの向上に奏功したものは一つもない。
図2に示したように、国家プロジェクト、コンソーシアム、旧エルピーダメモリ(以下、エルピーダ)やルネサス エレクトロニクスなどの合弁会社の設立を、これでもか、これでもか、とやり続けたが、日本半導体産業のシェアの低下は止められなかった。つまり、全て失敗したわけだ。
なぜ、やっても、やっても、ダメだったのか?
理由はいくつかある。衆議院の意見陳述では、「日本半導体産業は過剰美術で過剰品質を作る病気に罹患していた。しかし、政府や経産省はその病巣を見抜けず、間違った診断を行った。その間違った診断を基に処方箋を出したから、全て失敗した」と論じた。
この典型的な事例が、2012年2月に倒産したエルピーダである。2000年頃に、日本のDRAMメーカーは、コンピュータ業界がメインフレームからPCにパラダイムシフトしているにもかかわらず、相変わらずメインフレーム用の25年保証の超高品質DRAMをつくり続けたため、大赤字を計上し、撤退に追い込まれた(図3)。
NECと日立の合弁会社として1999年12月に設立されたエルピーダは、過剰技術で過剰品質をつくる病気が重篤化し、2012年2月にあっけなく倒産した。この間、筆者は、2004年に同志社大学の経営学の教員として、エルピーダを調査し、あまりにマスク枚数が多いこと、とんでもなく検査工程がヘビーであることなどを、坂本幸雄社長(当時)に直接報告したが、無視された(逆に、広報担当の役員ににらまれて研究は打ち切りとされ、エルピーダへの出入りを禁止された)。
つまり、経産省主導で設立されたエルピーダは、過剰技術で過剰品質をつくる病気で“死んだ”半導体メーカーと言える。
なぜ国家プロジェクトやコンソーシアムは失敗したのか
もう一度、図2を見て頂きたい。日本半導体産業のシェアが下がる。そのシェアの低下を食い止めようとして、国プロ、コンソーシアム、合弁会社をつくる。
しかし、図2を見ているうちに筆者は、国プロ、コンソーシアム、合弁会社をつくるから、シェアが下がると思い始めた。実際、コンソーシアムを一つつくれば、半導体メーカーは、10人単位で技術者を出向させる。10個できれば、100人を出向させることになる。すると、半導体メーカー本体は、どんどんやせ細ることになる。
そして、国プロやコンソーシアムが開発した技術について、半導体メーカーは一切見向きもせず、使わないのである。これでは、人もカネもドブに捨てているに等しい。なぜ、こんなことになるか?
例えば、筆者が2001年4月〜2002年10月の1年半に渡って在籍したコンソーシアム「半導体先端テクノロジーズ(Semiconductor Leading Edge Technologies、セリート)」では、65nm用トランジスタや配線技術を開発した。
ところが、東芝やNECはもっと先の45nmにしか興味がなく、サンヨー、エプソン、シャープ、沖電気など2番手グループは130nm以降の微細化の予定がない。従って、65nmプロセスは、参加企業の誰も見向きもしない。なぜこのような事態になるのかというと、参加企業13社の合議制で開発テーマが決められるからだ(恐らく、13社が求める微細化の平均値が65nmだったというバカバカしい話であろう)。
そして、セリートが、設計のコンソーシアムの「半導体理工学研究センター(Semiconductor Technology. Academic Research Center、スターク)とともに、「日本半導体産業の復権」を目的として立ち上げられ、10年間に渡って国費が投じられた「あすかプロジェクト」は、もっと悲劇的だった。
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