「新しい資本主義」をエンジニア視点で考えてみる:「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(8)(4/9 ページ)
今回は「新しい資本主義」について考えてみます。きっかけは嫁さんの「新しい資本主義って何だろうね」というひと言。これを調べていくと、「令和版所得倍増計画」なるものの実施が絶望的に難しそうであることが明らかになってきました。
「古い資本主義」=新自由主義のことらしい
さて、「新しい資本主義」というからには、当然「古い資本主義」が存在していなければなりません。
これについて、各種の文献を探してみましたが、なかなかドンピシャの内容を見つけられませんでした。隣町の大きな本屋に行って、「30分で分かる新しい資本主義」のような本を探してみたのですが、見つけられませんでした ―― それどころか、「新しい資本主義」が表題となっている本を見つけることすらできませんでした(「働き方改革」の時との大きな違いを感じました)。
そもそも、資本主義というのは、「生産手段の私的所有と私的利益をベースとする経済システム」であり、人類史上最古のシステムと理解しております ―― で、この最古の資本主義の最初には、2人の人間しかいなかったのです。
これが2人以上のグループとなることで、共同生活が発生し、そこから、税収と、その再分配(道路とか、診療所とかの公共サービスの形にして)などを行う人間(ガバナー(governor))が登場して、それが政府(Government)になります。つまるところ、政府というのは、税金を徴収して、それを分配する手配師集団のことです。
「古い資本主義」とは、その手配師集団(政府)の規模を、できるだけ小さくして「自分のことは、(できるだけ)自分でやってね」という資本主義 ―― のようです。
この小さな政府の元で運用される資本主義は、「新自由主義」とも呼ばれているようですが、それは、「個人が自分の能力をのびのびと使える社会」 ―― を目指していたわけではなくて、もう、「これ以上政府を大きくしたら、わが国が破産してしまうから、個人でがんばってね。これ以上、国家を当てにしないでね」というのが、主な動機だったようです。
「大きい政府」と「小さい政府」はどっちがいいのか ―― 実は、これに正解はありません。どちらも悪くて、どちらも良いのです。
で、近年(ここ30〜40年くらい)は、『小さな政府 = 新自由主義』が、はやりました。まあ、当時の国家財政を見れば、妥当な政策だったと、私でも思えます。
以下は、過去の為政者が行ってきた、『小さな政府 = 新自由主義』の政策の概要です。
若い人には信じられないかもしれませんが、以前は、たばこも、鉄道も、電話も、電気も、郵便も、国家に守られて運用されている国営企業で、『親方日の丸』と言われていたのです ―― ほぼほぼ終身雇用で、社会福祉も完璧、異動などもほとんどない、夢のような職場だったのです。
これを解体して、普通の会社にするというのです ―― ええ、もう、それは、日本中ですごいバトル(反対運動)が展開されたものです。しかし、その支援は、国民全体には広まりませんでした。
私の両親のような自営業や、宮仕えのサラリーマンから見れば、彼ら(国営企業の社員)は『ラクしすぎている』ように見えたからです。特に、当時の国鉄(今のJR)のストライキで、国鉄職員は多くの国民から、怒りを買いました(私の父が、テレビのニュースを見ながら、激怒していたことを覚えています)。
客観的に見ても、1964年当時*)の国鉄(今のJR)は、「毎年1兆円の赤字を出して、2兆円ずつ借金が増え、国から7千億円を超える助成を受ける状態」で、普通の会社なら当然に破産・倒産している状態にあったのです。
*)当時の一般会計歳出は、33.1兆円。令和4年度は107.5兆円ですので、実際の金額は3.3倍ほど乗算して見てください。
ちなみに、この新自由主義(=小さな政府)は、シカゴ大学経済学部、いわゆる「シカゴ学派」の若い学者達による、チリでの経済再建の成功例によって、図に記載したように、80年代のイギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根内閣に大きな影響を与えました。
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