「新しい資本主義」をエンジニア視点で考えてみる:「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(8)(6/9 ページ)
今回は「新しい資本主義」について考えてみます。きっかけは嫁さんの「新しい資本主義って何だろうね」というひと言。これを調べていくと、「令和版所得倍増計画」なるものの実施が絶望的に難しそうであることが明らかになってきました。
「古い資本主義」は何が問題だったのか
今、この「新自由主義=小さな政府」が、大きな問題となっています。理由は、めちゃくちゃな(経済)格差が発生しているからです。格差が、本人の努力の差と正しく比例していれば、まあ問題はなかったでしょう。
ところが、今の格差の問題は、個人の努力などという範疇(はんちゅう)を軽々と超越して、「教育機会が奪われる→就職できない→結婚できない→子どもが生まれてこない→税収がなくなる→国家財政直撃を受ける」という流れになっていて、当初の「小さい政府で、国家財政を救う」どころか、「小さい政府の元で発生した『格差』が、逆に、国家をつぶす」という危機に晒(さら)されているわけです。
さらに、これは日本特有の現象とは思いますが、「市場の自由競争→価格競争の激化」を導き、その結果として、「デフレ→業績悪化→失業者の増大」という現象になっていることも見逃せません。
繰り返しますが、自由主義/資本主義の世界において、「自由」や「格差」は、何も悪くはありません。
問題は、
(1)本人の努力や能力とは別の力で動いている「格差」は悪い
(2)進学、結婚、出産、その他、人が人として当たり前のものを得られない「格差」は、さらに悪い
(3)次の世代に絶望のバトンリレーしかできない「格差」は、論外に悪い
ということです。
では、その「悪い格差」をなくすには、どうしたら良いか ―― 「小さい政府」を、再び「大きい政府」すれば良いのでしょうか?
実は、政府のサイズは、「大きな政府」と「小さな政府」の間を行ったり来たりしていたのです。
小さい政府の時に、世界恐慌(1929年〜)が発生しました。「市場を市場に任せっぱなしにしておくと、世界中が不幸になり、引いては、世界大戦まで発展する」という反省と、当時はソビエト社会主義(ソ連、今のロシア)を中心に、社会主義国家が、奇跡的な経済成長を実現しました(なにしろ、あの北朝鮮が、『地上の楽園(もちろん虚偽)』と言われていたくらいです)。
これを「ヤバい」と感じた自由主義陣営は、社会保障の充実を図るために、大きい政府にシフトしますが、行き過ぎた社会保障は財政をパンクさせることになりました。特にアメリカではベトナム戦争の戦費によって、政府の財政がガタガタになります。
そこで一転、今度は、政府の持っている権限や国有企業を民間に開放する、新自由主義(=小さい政府)への揺り戻しが行われます。で、その結果、前述したような「悪い格差」や「デフレ」に至っている、というわけです。
で、先程の問いかけに戻ります ―― 新しい資本主義は、「新自由主義の転換」であるのは間違いなさそうですが、それが、「大きな政府」への再転換を促すものなのか、あるいは別の何かなのかが ―― 私には分からないのです。
そもそも、この「成長戦略」と「分配戦略」で、どのように「税金」「社会保障」「市場」「生活」を担保しているのかが、私の頭の中でつながりません。
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