「お金がなくてもそこそこ幸せになれるのか」を宗教と幸福感から真剣に解析してみる:「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(10)(3/9 ページ)
今回は、「なぜ、カルトの信者はあんなに幸せそうなのか」という疑問に端を発して、「お金がなくてもそこそこ幸せになれるのか」を宗教と幸福感から真剣に解析してみました。
人は自分の幸/不幸を「自分で勝手に」決めている!?
さて、内容の検討に入る前に、この論文で頻用されている用語、"Subjective Well-Being(主観的幸福感)”について説明したいと思います。
幸福感と呼ばれているものは、学術的には2種類あって、「客観的」なものと「主観的」なもので分けられています。脳波やドーパミンの分泌量で、定量的に測定するものが「客観的幸福感(Objective Well-Being)」であり、幸福を個人の主観のみで決定する幸福感が「主観的幸福感(Subjective Well-Being : SWB)」です。
よくよく考えると、私たちが「幸せ」と呼んでいるもののほとんどが「主観的幸福感」です。私たちは、自分たちの幸せを考える時、定義が記載された紙や、数値が記載された表(右図のような標準偏差値表みたいな)を持ってきて、電卓で計算するようなことはしません。
「主観的幸福感」の考え方のスゴいところは、客観的基準を全て却下する、という恐ろしい腹のくくり方にあります。
そして、さらに、この主観的幸福感は、さらに2つのカテゴリーに分類されます。(A)認知的幸福感(Cognitive Well-Being)と、(B)感情的幸福感(Affective Well-Being)です。
まあ、(B)の方は、「非論理的」で「自然発生した」、マイナスの感情や、それ以外の複雑な感情も含めたハピネス、という理解で大丈夫だと思います。
しかし、(A)の認知的幸福感の概念は ―― 正直、私に衝撃を与えました。
私、主観的幸福感には、「いかなるルールも基準もない」と記載しました ―― で、それは正しいのですが、「自分が主観的(勝手に)に決めたルールや基準は、自分の中でガッツリ存在している」のです。
その自分ルールの例を上げてみましょう。「モテる/モテない」「夫の収入が多い/少ない」「自分の仕事が大変/ラク」「メークがうまい/へた」「自分より若い/若くない」「彼氏がいる/いない」「自分の子供の学校のランク」「SNSの”いいね”の数」「スピリチュアルなアドバイスをする」「所持しているブランド品」から、「学歴」「収入」「持ち家」などなど ―― ひとことで言えば、他人と自分との間でマウントのネタとなる項目が、「主観的ルールまたは基準」ということです。
例えば、私の場合、「メークのうまい/へた」は、「江端主観的ルールまたは基準」の項目として死ぬまでエントリーされることはないでしょうが、「TOEICスコア」についてはこれからもエントリーされ続けると思います。そして、死ぬまでその項目が消去されることはないでしょう。
ところが、「TOEIC」というテストの存在を知らない人にとっては、当然、それは、その人の認知的幸福感(Cognitive Well-Being)にとって、プラス側にもマイナス側にも、全く影響を与えないのです。
つまり ―― 自分の幸福感(の中の、認知的幸福感)を決定しているのは、「自分オリジナルの主観的ルールまたは基準」を作っている自分自身であると、という冷然たる事実なのです。
ならば、主観的幸福感とは、どのように測定するものか?
その一つに、生活満足度(Satisfaction with Life Scale : SWLS)による測定方法があるようです。これは、「日々の生活に満足していること = 主観的(認知的)幸福度が高い」という観点からアンケートで測定する、というものです。
アンケートの内容を見て頂けると分かると思うのですが、確かに「他人との比較」がどこにも出てこないのです。アンケートの主語は、いずれも「自分の人生」になっています。
なるほど、これは、明らかに「主観的な幸せ」であり、かつ、このアンケート内容であれば、数値で算出することもできます(実際には、それぞれの質問に対して、5段階(1、2、…5)で回答するようです)。
ただ、正直に言って、確かに、質問の中に、比較すべき「他人」や「社会」は入っていないのですが、この質問に対して完全に"Yes"と答える奴は ―― 入院レベルの「躁(そう)病*)」を疑うべきではないか、とも思います。
*)躁うつ病において、気分が異常に高揚し、夜も眠らずに、支離滅裂な言動を発し、危険を顧みなくなるような状態になる期間のこと
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