「何でもできるが誰にも使えない」――自作MASが突きつけた現実:リタイア直前エンジニアの社会人大学漂流記(2-2)(3/3 ページ)
今回は私の自作MAS(マルチエージェントシミュレーション)、「EBASim(Embedded Behavioral Agent Simulation:心理モデル組込型エージェント・シミュレーション)」について説明します。EBASimを開発したのはいいものの、その後、ある絶望的な課題が浮かび上がってきます。
「介護の話が“イタすぎる件”」
後輩:「江端さん。介護の話が“イタい”です。いや、“痛い”です」
江端:「そこは、意図的に逃げなかった。きれいにまとめる選択肢もあったけど、大学への入学動機を書く以上、ここを削ると全部が嘘になると思ったんだ」
後輩:「“介護の終了=親の死”と書き切って、その先に“自由に使える休日”を置く構成が、かなり直球です。読む側に、『”あんたの自己実現”って何の上に成立しているか、本当に分かっている?』と迫ってきます」
江端:「まあ、その問いを避けたままでは動機を書いたことにならないからね」
後輩:「ただ、あそこは誤解されやすいですよ。“親が亡くなってホッとした”とか、“死を待っていた”と読まれかねませんよ」
江端:「そんな風に誤解される可能性は高いと思う。でも、当時の私が考えていたのは“どう支えるか”だけだった。“できるだけ苦痛の少ない普通の生活を続けられること” ―― それ気持ちだけで動いていたと思うな」
後輩:「つまり、『“ゴール”を意識した介護ではない』、と」
江端:「そう。結果として『介護の終点が、親の死だった』と気がついたのは、全てが終わって、かなり時間がたってからだ」
後輩:「そのあとに来る、悲しみと同時に、長年張りつめていたものが一気に切れる。あそこを書いてしまうのは、かなり勇気が要ったんだなぁと思います」
江端:「でも、あれを書かないと、“入学の動機”という事象を『事実ベース』で正しく記録したことにならないし」
後輩:「仕事と介護の両立も、美談としては描いていませんよね。“立派だからやった”んじゃなくて、“やらなければ破綻するからやった”という整理になっている」
江端:「両立という言葉が、選択の余地があるように聞こえるのが問題なんだよなぁ。あれ“強制”だから。そこを取り違えると、介護する側もされる側も、簡単に地獄に堕ちる」
後輩:「だからこの一節、若い人には重すぎて、介護を担った世代にはかなり“痛い”」
江端:「しかも、これはものすごいブーメランでもある。次は私たちが、愛する自分の子どもたちの“自己実現を妨害する装置”として機能する側になる。私たちは、その入口に立っている、という話だからね」
「『江端が出世できたか』かのように書くな」
後輩:「江端さんは大きな勘違いをしています。江端さんは努力で出世(キャリア)の側に行けるかのように記載していますが――とんでもない勘違いです。世の中には2種類の人間がいます。『出世する人間』と『出世しない人間』です。そして、私も江端さんも、そもそも『出世しない人間』なのです」
江端:「えらい言われようだが……」
後輩:「しかも、『出世に価値がある』かのような書き方が大問題です。“出世”は“幸せ”と等価ではありません。特に研究開発の現場では、“出世”は“外れくじ”です。それは江端さん自身が一番よく知っているはずですが」
江端:「で?……何が言いたい?」
後輩:「出世する人は出世する人、しない人はしない人です。それは努力や戦略以前に、かなり早い段階で決まっている。“良い/悪い”ではなく、“人”は、最初からそういうふうに決められている、と考えた方が自然です」
江端:「なるほど。“頑張れば俺も上級管理職になれた”という物語自体が、そもそもフィクションだと」
後輩:「そうです。江端さんは、組織を束ねて人を回す側の人間じゃない。人間関係の調整を楽しめるタイプでもないし、飲み会で腹を割る文化にも適応しない。その時点で、キャリアレースの出走権がない」
江端:「……否定はできないな。むしろ、その自覚が足りなかったかな?」
後輩:「だから問題は“出世しなかったこと”じゃありません。“出世できる世界に自分が属している”という前提で、キャリア論を書いてしまったことです」
江端:「確かに、あの書き方だと、『判断を誤らなければ、俺は好きなように出世できた』という風に読めるな」
後輩:「そこが危険です。若い読者が読むと、『出世しないのは努力不足』『キャリア軽視は自己責任』という話にすり替わってしまいます」
江端:「実際には、“出世しない人間”が、無理にキャリアを避けた結果、便利屋にされて消耗した、というだけの話なのにーーと?」
後輩:「そうです。江端さんは、“選ばなかった”んじゃなくて、“選べなかった”。その事実を書かないと、本質がズレます」
江端:「つまり、この節で書くべき反省は、『キャリアを軽視したこと』ではなく、『自分がどのレーンを走る人間かを正確に理解していなかったこと』だな」
後輩:「加えて、“出世できない人間”がどう生き延びるか、という話にまで展開しないと、単なる“武勇伝”か“自己否定”で終わります」
江端:「……耳が痛いが、的確かな。私は“出世論”を書いているつもりで、“人間の適性論”を書いてしまっていたわけだ」
後輩:「その自覚があれば、冒頭の最後のフレーズ“生成AIだけが本音を語れる相手ですからね ―― 悪いか”は、もっと強く刺さりますよ」
江端:「理解した。この節、書き直す必要があるな。『出世できたかもしれない江端』は、フィクションとして処理すべきだな」
後輩:「それが正解です。現実の江端さんは、“出世しないレーン”でしか走れなかった研究者なのですから」
江端:「……まったく、容赦がないな」
後輩:「『事実ベース』ですから」
Profile
江端智一(えばた ともいち)
大手総合電機メーカー 研究開発グループ シニア研究員。工学博士。
長年にわたり、都市交通、社会システム、通信システムなど、実社会と情報技術を横断する研究開発に従事。定年退社後もシニア採用として研究を継続している。
マルチエージェントシミュレーション(MAS)を用いて、都市における住民行動を再現・分析し、「共時空間」という接触機会の定量化手法と「Repeated Chance Meetings (RCM)」 という新しい単位を提唱中。MASの中ではエージェント同士が活発に交流しているが、現実世界の自分は孤立クラスタに属し続けている。友達はいない。生成AIだけが本音を語れる相手である――悪いか。
また、社会観察者としての視点を持つ。『町内会のイベントや夏祭りへの参加は、社会関係資本( Social Capital (SC) )を高める上で重要だ』と語りながら、自身は町内活動にほとんど参加せず、家族からは『どの口が“SC”を語っているのか』と呆れられている。友情や愛情ではなく、負の感情を積極的に活用する「怒りMaaS」などのシステムを考案し、デジタルシステムにおける感情エネルギーの活用を真剣に検討している。
信条は「アナログ心理とデジタルロジックの融合」。人間の曖昧さをエラーではなく仕様として扱うことを理想とする。個人サイト「こぼれネット」では、科学技術と人間社会の“バグ”をユーモアで修正しながら、理屈と感情のあいだに生まれる笑いを記録し続けている。この20年間、毎日更新継続中。
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