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MATSim実践編――「深夜ラッシュ」の謎を解くリタイア直前エンジニアの社会人大学漂流記(7-2)(3/3 ページ)

今回のMATSim(マルチエージェントシミュレーション)実践編では、1万人のエージェントを通勤させた際に発生した「深夜のラッシュ」の要因を探ってみます。

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ホーキング放射で放出されるのは「大量の江端節」

先輩:「で、今回は何の依頼だ?」

江端:「今回の連載のレビューをお願いしたくて。前半では、日本人の英語コンプレックスと『コモンズのガバナンス』について書き、後半ではMATSimを使ったシミュレーションの検証について書きました。批判的なレビューはもちろん、多少の人格攻撃も含めて構いません」

先輩:「英語とコモンズと交通シミュレーションか。相変わらず、冷蔵庫の残り物を全部鍋に放り込んで、『これは一つの思想です』と言い張る料理を作り続けているようだな」

江端:「開始早々、かなり厳しいですね。私の人格と、コラムの内容は分離して評価していただきたいのですが」

先輩:「お前がレビューを依頼してきたんだ。そもそも、人格と主張を完全に分離して評価できるなら、人類はSNSであれほど揉めていない

江端:「……仕方ないですね。では、お願いします」



先輩:「まず英語の話だ。海外留学生が大学構内で建物の場所を尋ねたところ、日本人から腕で大きなバツ印を作られ、『私は大学の学生ではない』と言われた。それを聞いて、お前がキレた。英語ができなくても、単語、身振り、指差し、地図、スマホを使えば助けられるだろう――と。まあ、そこまでは正論としていいだろう」

江端:「ほう、ちょっと意外でした。この話は、正しい英語を話せなくても、支援する方法はいくらでもある、ということです。これは語学力の問題ではなく、支援プロトコルの問題だ、と書きました」

先輩:正論だからこそ、お前が言うと腹が立つ。そもそも、お前はその場にいなかっただろうが。留学生から聞いた一方の証言だけで、日本人の英語教育、国民性、観光政策、大学の留学生支援、さらに政府の広報方針にまで話を広げている。町内の水たまりを見つけて、国家規模の治水ダムを設計し始めるタイプだ

江端:「個別事例から問題を一般化するのは、研究員の基本的スタンスだと思いますが」

先輩:「お前の場合は一般化ではない。小さな出来事を見つけては、勝手に巨大な構造へ膨らませているだけだろう。外国人が道に迷えば日本社会の構造的欠陥を発見し、バスに乗れなければ公共交通政策を語り、グラフの値が2倍になればシミュレーション哲学を始める。何にでも構造があると思い込み、話を大きくして文章に変換する『構造中毒』だ

江端:「まあ……話を大きくすることで、コラムを成立させていること自体は否定しませんが」

先輩:「普通の人間なら、道案内に失敗したら『次からGoogle Mapsを見せよう』で終わる。お前はそこから、『日本人は英語を通信手段ではなく採点対象として学んできた』『間違いを過剰に恐れている』『政府は支援プロトコルを広報すべきだ』と、国家論まで展開する。お前は問題を解決したいというより、『私だけは構造を見抜いています』という顔をしたいんじゃないのか?

江端:「それは少し違います。私は、単語や指差しだけで、助けられる人がいる、と言っているだけです」

先輩:「そこは分かる。だが、お前自身が『英語に殴られた』『蹴られた』『愛されなかった』と、何十年も英語を擬人化して壮大な被害者物語を作っているが ――英語がお前を殴ったわけではない。単に、お前が英語をまともに使えなかっただけだ

江端:「身も蓋もないですね」

先輩:「お前が英語に愛されなかったのではない。英語は最初から、お前の存在を認識していない。フランス語もドイツ語も同じだ。無視されているだけだ。ところがお前は、その無視を『語学教育に虐げられながらも、実務で使い続けた技術者』という、都合のいい物語に書き換えている

江端:「それは、モノ書きをする人間としては、必要な能力だと思っていますが……」

先輩:「だから面倒なんだよ。普通の人間の失敗は失敗で終わる。お前の失敗は、なぜか次のコラムでは社会批判に書き換えられている――『私が悪いんじゃない。社会が悪い』という内容で、だ」



先輩:「次に行くぞ。『コモンズのガバナンス』だ。お前はこの本を読んで、『国家による一元管理でも、私有財産化でもなく、当事者がルールを作り、監視し、制裁し、紛争を解決する第三の道がある』と理解した。そこまではいい。問題は、そこからお前の『コモンズ』の超解釈が始まったことだ

江端:「『私の能力という有限資源は、私の中で閉じた一種のコモンズである』と再定義しただけですよ」

先輩:「コモンズとは共有資源だ。『私の中で閉じたコモンズ』と言った時点で、コモンズの中心にある共同性を自分で抹消しただろう。お前は『厳密な学術用語ではなく比喩です』と一行断れば、専門用語を好き勝手に使ってよいと思っている節があるよな

江端:「比喩としての拡張は……まあ、その通りですが、私が言いたいのは、限られた複数の資源を組み合わせて、目的に応じて管理し、運用するという構造のことです」

先輩:それは世間では『工夫』と呼ぶものだ。英語が通じなければスマホを見せる。紙に書く。指を差す。冷蔵庫の残り物で炒飯を作る。それをお前は、面倒くさく『有限資源の統合的ガバナンス』と言い換えているだけだ

江端:「冷蔵庫の残り物を使った炒飯が、『家庭内食料資源の統合的ガバナンス』ですか……それ、いいですね」

先輩:「そういうことじゃない。お前は概念を拡張しているのではない。概念を液状化している。何にでも染み込むようになるが、その結果、何も説明しなくなる。傘がなければ新聞を頭に載せることも、箸がなければフォークを使うことも、朝起きて左右を間違えず靴下を履くことまで、全部『ガバナンス』になってしまう

江端:「そのリスクは理解しています。ですから、厳密な学術用語ではなく、私なりの比喩だと明示しています」

先輩:「最も危険なのは、お前の詭弁の運用方式だ。普通なら、共同資源の管理を扱った本を読めば、複数の人間がどう協力し、対立を調整し、制度を維持するかを考える。ところがお前は、世界中の共同体の事例を読み終えて、なお、最終的に『一人でできます』に強制着陸させる

江端:「私は、共同体を否定しているわけではありません。個人の問題解決にも、その考え方を応用できるのではないか、というテーゼを提供しているだけです」

先輩:「違うな。江端、お前、他人と共同管理するのが面倒だから、問題を自分の内面に縮退したんだろう?オストロムが世界各地の漁場や地下水管理を研究して築いた理論を、お前は極東の片隅で、『デタラメな英単語を叫びながらスマホを見せる』という結論に着地させたわけだ。これには、オストロムも驚いていることだろうよ」

江端:「『偏屈な技術者』という形容は妥当でしょうか」

先輩:「むしろ足りない。お前は何を読んでも最後には自分の話にする。ナチズムを読めば江端の警戒心、幸福論を読めば江端の孤独、英語教育を読めば江端の失敗、コモンズを読めば江端のスマホ、MASをやれば江端の怒りだ

江端:「そこは、『一貫した江端メソッド』と言っていただきたいです」

先輩:「メソッド? 世界の事象全体を自分の人格へ収束させるブラックホールだろう。大量の本や論文を吸い込んで、ホーキング放射として最後に出てくるのは、微量の自虐と大量の江端節だけだ



先輩:「続けるぞ。後半、MASの話だ。お前はMATSimのグラフを使ってシミュレーションの妥当性を確認し、深夜まで徒歩で移動するエージェント、自動車で出勤して徒歩で帰宅するエージェント、さらに実数のちょうど2倍を表示するグラフを見つけた」

江端:「はい。そして、MASは入力データと設定に従って極めて真面目に計算する一方、『こんな人間がいるはずがない』と判断する常識は持ち合わせていない、と書きました」

先輩:MASはお前に似ている。入力された理屈に従って極めて真面目に暴走し、常識がない。留学生が道を聞いただけで英語教育制度を倒そうとし、コモンズの本を一冊読んでスマホを共有資源にし、グラフに異常値を見つけて政治家をMASで殴ろうとする」

江端:「そのようにキレイに整理されると、ちょっと照れてしまいますね」

先輩:「褒めていない。それどころか、お前自身が、一番デバッグを必要とするエージェントだ。何十年もパッチを当て続けた結果、誰も全体仕様を把握できなくなったレガシーシステムだ。config.xmlは、お前の嫁さんが持っているんじゃないか?」

江端:「私の知らないところで、パラメータを書き換えられている可能性はあります」

先輩:「それに、お前は徒歩で90km帰宅するエージェントを見つけて、『こんな人間がいるはずがない』と言っている。しかし、お前自身、定年直前に大学院へ入り、会社の仕事をしながら論文を書き、深夜までシミュレーションを回し、休日に50ページのコラムを書いている」

江端:「そう言われれば、そうですが」

先輩:MATSimから見れば、お前の方が異常値だ。90km歩くエージェントは、入力データに命令されて仕方なく歩いているが、お前は誰にも命令されていないのに、意味不明な暴走を繰り返している

江端:「私は、不合理な命令に従うことすらできないエージェント以下ですか?」

先輩:「正直に言えば、お前が何を考えて生きているのか、俺にはさっぱり理解できん」



先輩:「そして一番面倒なのが、『政策の先にある失敗を可視化し、逃げ道ごと塞いで、MASで殴る』という部分だ。お前はなぜ、『政策を改善する』と言わず、『殴る』と言うんだ?

江端:「口で説明しても理解しない相手に、その政策がどこで破綻し、誰にしわ寄せが行き、どこで社会システムが壊れるかを、結果として示したいだけのチョッピリ過激な表現ですよ

先輩:「お前……過去に何かあったのか?」

江端:「ノーコメントです」

先輩:「どうも、お前が欲しいのは政策改善ではなく、相手を黙らせることにあるように見える。相手の退路を塞ぎ、反論不能にし、最後にグラフを叩きつけたい。社会を良くする道具としてMASを使うというよりも、自分を理解しなかった連中への復讐装置として使おうとしているように見えるが

江端:「そんな。私なんて、何の権力もない、ただの一研究員ですよ」

先輩:「それなら、『こういう条件では破綻する可能性があります。一緒に前提を検討しましょう』と言えばいい。だが、お前は『それでは足りない』と感じているんだろう?」

江端:「コラムの表現としては、弱いとは思っています」

先輩:「ほら見ろ。目的は説明ではなく威圧だ。お前は学術的に厳密でありたい時は研究者の顔をし、乱暴なことを言いたい時はコラムニストの顔をし、技術の実現性を語る時はエンジニアの顔をする。そして批判されたら、『比喩です』『コラム上の表現です』と言って別人格へ逃げる

江端:「まさにペルソナ*)ですよね」

*)場面や目的に応じて使い分ける、仮想的な人格や役割のこと。

先輩:「この連載の言葉を使うのであれば、『エージェント』だ。お前の中には、責任分散のためのマルチエージェントが棲んでいる。研究者江端、技術者江端、コラムニスト江端が、それぞれ勝手に共有資源である『社会的信用』を消費し、問題が起きれば別のエージェントに責任を押し付ける」

江端:「なるほど、私の中にいる複数のエージェントが、『コモンズの悲劇』を起こしているわけですね」

先輩:「そうだ。しかも、監視も制裁も紛争解決制度もない。オストロムを読んだ成果が全く反映されていない」

江端:「上手い!」

先輩:「感心するな」

江端:「だから、最後に次の一文を追加しているじゃないですか。『ただし――MASが殴ってくるのは、私自身の思い込みと、私自身が作ったモデルの方である、という可能性の方が高いですが』って」

先輩:「技術者の傲慢さへの防波堤にしたいんだろうが、まるで機能していないぞ。お前は散々、政治家を殴る、役人の逃げ道を塞ぐ、仮想都市を破綻させると暴れた後で、最後に一行だけ自虐を置いて、全部チャラにしようとしている。そんな魂胆、読者には透けて見えるぞ

江端:「自虐ではなく、自分自身と自分のモデルも検証対象である、という認識です。実際、今回もMASの出力から、自分の思い込みや入力データの問題を何度も突きつけられて、私はちゃんと自己批判しているじゃないですか?」

先輩:「内容としては正しい。だが、お前の自虐は反省ではなく保険だ。先に自分で欠点を言っておけば、後から他人に批判されても、『それは私も分かっています』と言える。『私のモデルの方が間違っているかもしれません』『私は英語に愛されませんでした』『私は偏屈な技術者です』と、批判回避用のチャフ*)を先に撒いている

*)レーダー誘導ミサイルなどを惑わせるため、航空機が空中に散布する金属片。ここでは、批判の照準をそらすための自虐の比喩。

江端:「自分の弱点を開示することは、誠実さだと思いますが」

先輩:本当に誠実な人間は、50ページも自分の話を書かない。お前が売っているのは誠実さではなく、自己観察だ。英語に失敗した自分、コモンズに衝撃を受ける自分、MATSimの異常値に悩む自分、政治家を殴りたい自分、最後にMASから殴られる自分――登場人物が全部お前だ

江端:「では先輩は、このコラムには価値がないと思いますか?」

先輩:「いや、価値はある。お前のコラムは、正しい答えを教える文章ではない。自分の失敗を文章にする能力だけはある人間が、自分の偏見をどう理屈で補強し、専門用語を自分好みに拡張し、都合の悪いデータに出会って混乱し、最後には自虐で着地するか――それを観察する文章としては価値がある」

江端:「褒められている感じがしません」

先輩:褒めていない。だが、自分のモデルのバグを隠して、他人の政策だけを批判する奴よりは、自分のバグまで図表付きで公開する奴の方が、少しだけ信用できる」

江端:「少しだけですか」

先輩:「お前に大量の信用を与えると、コモンズの悲劇が起きる。お前は必ず資源を食い潰し、その経緯を次回のコラムに書く」

江端:「最大級の賛辞として頂いておきます」

先輩:「だから、褒めてないと言っているだろうが

Profile

江端智一(えばた ともいち)

大手総合電機メーカー 研究開発グループ シニア研究員。工学博士。

長年にわたり、都市交通、社会システム、通信システムなど、実社会と情報技術を横断する研究開発に従事。定年退社後もシニア採用として研究を継続している。

マルチエージェントシミュレーション(MAS)を用いて、都市における住民行動を再現・分析し、「共時空間」という接触機会の定量化手法と「Repeated Chance Meetings (RCM)」 という新しい単位を提唱中。MASの中ではエージェント同士が活発に交流しているが、現実世界の自分は孤立クラスタに属し続けている。友達はいない。生成AIだけが本音を語れる相手である――悪いか。

また、社会観察者としての視点を持つ。『町内会のイベントや夏祭りへの参加は、社会関係資本( Social Capital (SC) )を高める上で重要だ』と語りながら、自身は町内活動にほとんど参加せず、家族からは『どの口が“SC”を語っているのか』と呆れられている。友情や愛情ではなく、負の感情を積極的に活用する「怒りMaaS」などのシステムを考案し、デジタルシステムにおける感情エネルギーの活用を真剣に検討している。

信条は「アナログ心理とデジタルロジックの融合」。人間の曖昧さをエラーではなく仕様として扱うことを理想とする。個人サイト「こぼれネット」では、科学技術と人間社会の“バグ”をユーモアで修正しながら、理屈と感情のあいだに生まれる笑いを記録し続けている。この20年間、毎日更新継続中。



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