近代科学の創始者たちに、研究不正の疑いあり(天動説編):研究開発のダークサイド(7)(3/3 ページ)
研究不正の疑惑は、近代科学だけでなく、さらに時代をさかのぼった古代にも存在する。「数学集成(アルマゲスト)」をまとめ上げた、古代ローマ帝国の天文学者クラウディウス・プトレマイオスには、データを捏造したのではないかという疑惑がある。その“ダークサイド”を解説しよう。
『プトレマイオスの犯罪』が指摘する観測データの捏造疑惑
米国の天文学者ロバート・ニュートン(Robert Russel Newton、1918年7月7日生〜1991年6月2日没)は、米国ジョンズホプキンス大学に勤務していた1977年にプトレマイオスの不正疑惑を追及した『The Crime of Claudius Ptolemy(プトレマイオスの犯罪)』を著したことで知られている。『背信の科学者たち』でも、ロバート・ニュートンの『プトレマイオスの犯罪』を紹介している。
ジョンズホプキンス大学がオンラインで発行している研究論文誌『APL Technical Digest』には、ロバート・ニュートンが著書『プトレマイオスの犯罪』を分かりやすくまとめた論文が存在する。同書と同じ1977年に掲載された「The Strange Case of Claudius Ptolemy(プトレマイオスの奇妙な事例)、APL Technical Digest、volume 16、Number 2、11ページ〜21ページ」である。
この論文には、プトレマイオスが捏造したと思われる数多くの観測データが掲載されている。ここではその一例を挙げておく。アレクサンドリアでプトレマイオスが秋分点と春分点、夏至を観測したとする「数学集成(アルマゲスト)」の4件の記述(日時)は、捏造の可能性が極めて高いと指摘されている。
なぜならば、プトレマイオスが観測したとする時間帯よりも、実際にはこれらのイベントは1日〜2日も早く発生していることが分かったからだ。現代の観測データから計算すると、プトレマイオスが観測したと言及する時間帯には、これらのイベントは発生していなかった。
それではプトレマイオスは何を見たのだろうか。ロバート・ニュートンは、プトレマイオスよりも300年ほど前の天文学者ヒッパルコスによる観測データと1年の長さの定義から、秋分点と春分点、夏至の時間帯を逆算してみた。すると「数学集成(アルマゲスト)」が記述した4件の時間帯と、ほぼ完全に一致してしまったのである。このことから、プトレマイオスはヒッパルコスのデータを利用してイベントの時間帯を逆算し、自分が観測したかのように記したと、ロバート・ニュートンは結論している。
プトレマイオスの「数学集成(アルマゲスト)」が描く宇宙観(すなわち天動説)はもちろん現在から見ると誤りなのだが、現在から2000年近く前の古代天文学の集大成という意味での価値は極めて高いといえる。そして古代ローマ帝国が衰退して以降、ヨーロッパで「数学集成(アルマゲスト)」は忘れられた存在となっていた。
15世紀半ばに「数学集成(アルマゲスト)」のラテン語抄訳がヨーロッパで出版されたことで、同書は「再発見」される。この「再発見」が出発点となって観測天文学が急激に発展する。そしてコペルニクスの地動説やケプラーの惑星運動に関する法則、そしてニュートンによる万有引力の発見へと至る、近代科学の道のりが開けることになる。(文中敬称略)
(次回に続く)
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