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Intel創業2年目、初めての製品売り上げを計上するも赤字は拡大福田昭のデバイス通信(169) Intelの「始まり」を振り返る(2)(2/2 ページ)

創業翌年となる1969年。創業後わずか9カ月で製品の開発を完了させたIntelだったが、資金繰りは厳しかった。1969年における最終損失は前年の4.3倍に増大している。

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研究開発費は前年の3.7倍、最終損失は前年の4.3倍に増大

 1969年におけるIntelの総収入は56万5874米ドルである。内訳は製品売り上げが36万9698米ドル、利息収入が19万6176米ドルとなっている。

 対する総経費は247万8707米ドルである。内訳は研究開発費が半分強を占めており、129万3434米ドルに達する。前年の約3.7倍である。その他、販売費が72万6211米ドル、マーケティングおよび一般管理費が45万9062米ドルとなっている。

 最終損失は191万2833米ドルである。前年の約4.3倍に達する。前年の活動期間が半年未満であったことを勘案しても、約2倍の損失を計上したことになる。いずれにせよ、資金繰りは非常に厳しい状況にあることがうかがえる。


創業翌年(1969年)の業績ハイライト。Intelの年次報告書(アニュアルレポート)から作成

 Intelが開発した最初の製品であるショットキーバイポーラSRAMは、技術的には競合他社との差異化には成功していない。バイポーラプロセスは当時の主流であり、製品の性能はそれほど優れているとはいえなかった。Intelにとっては、最も早く売り上げを計上するため、いわゆる「糊口(ここう)をしのぐ」ための製品だと言えよう。

 Intelが競争優位を狙って開発したのは、MOSプロセスと多結晶シリコン(多結晶Si)ゲートによるSRAMである。MOSプロセスは当時の新規技術で、性能は優れているものの、大量生産に採用できるほどの完成度を持っていなかった。またトランジスタのゲート材料としては当時はアルミニウムが主流であり、多結晶シリコンは新規材料としては注目されていたものの、開発途上にあった。これらの事実は、多結晶シリコンゲートのMOSトランジスタでメモリを開発すれば、競合他社に対して製品の性能で当面は優位に立てることを意味する。

 そして1969年の後半にIntelは、多結晶SiゲートのpチャンネルMOSFETによる記憶容量が256ビットのSRAM「1101」を開発する。「1101」の開発は、Intelの技術力の高さを半導体業界に広く知らしめることとなった。

次回に続く)

福田昭のデバイス通信【Intelの「始まり」を振り返る】記事一覧
創業1年目 研究開発主体で売り上げは「ゼロ」
創業2年目 初めての製品売り上げを計上するも赤字は拡大
創業3年目 売り上げが前年の11倍に急増して赤字が縮小
創業4年目 半導体メモリのトップベンダーに成長
最終損益が黒字に転換
創業5年目 収入が前年の2.5倍に、初めての営業黒字を計上
腕時計メーカーになったIntel
創業6年目 クリーンルームに防塵衣がまだなかった頃
創業7年目 「シリコン・サイクル」の登場
DRAMが「特殊なメモリ」だった理由
パソコンを生み出した「8080」プロセッサが登場
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