リカレント教育とは、“キャリア放棄時代”で生き残るための「指南書」であるべきだ:世界を「数字」で回してみよう(60) 働き方改革(19)(3/9 ページ)
前回に続き、働き方改革から「リカレント教育」を取り上げます。現在のリカレント教育は「エリートによる、エリートのためのもの」という感が否めません。本当のリカレント教育とは、“キャリア放棄時代”を生き抜くための対抗策であるべきだと思うのです。
“キャリア放棄時代”に対抗する手段
私は、リカレント教育の目的の一つは、ダイナミックな変動を続ける社会構造の変化 ―― スライムやこんにゃくゼリーのようにグニャグニャと変化を続ける社会 ―― に対する対抗手段であるべきではないか、と考えています。
近年の産業構造のダイナミックな変化、特にIT、ソフト産業へのシフトによって、あらゆる職種のライフサイクルが、一人の人間の就労期間より遙かに短くなっています。
以下の図版は、これまで何度も使い回していますが、過去30年間の職業人口の変化です。
このように、かつての花形の職業が、10年もたたないうちに没落、消滅する、というケースを、私はこれまでの人生で山ほど見てきました。
私の頭の中にあるキーワードで言えば、ランクダウンしたものに「造船」「タクシー」「弁護士」があり、ランクアップしたものに「公務員」があります。
特に、IT関連に至っては、コンピュータ本体(メインフレーム)→通信(ネットワーク)→クラウド/エッジ→スマートフォン(スマホ)系サービスなど、流行(はやり)のIT技術がモグラたたきゲームのごとく移り変わり、次に”はやるIT”を予測することは、もはや不可能です。
つまり「この道一筋」とか「頑固一徹」の考え方は単に「古い」だけではなく、確実に「食っていけなくなる」のです。「人生で唯一の就職」という時代は既に過去のものとなり、私たちは「人生で2〜3回は、生き方をガラっと変える」くらいの覚悟で生き抜かなければならない時代を迎えています。
若いころからセッセと積み上げ、磨きをかけた知識と技術とノウハウと人脈で、一生食っていく時代は終焉(しゅうえん)し、それらの財産をいったん全てドブに捨てなければならない「キャリア放棄の時代」がやってきたのです。
正直、こんなことを言うのはウンザリですが、「大学卒業→就職→実地研修」というプロセスを、20歳代と40歳代と60歳代の3回実施するのだ、というくらいの気持ちでいた方がいいのかもしれません。
ちなみに、私も、大学を卒業したての若い頃は、「この研究(人工知能)で一生やっていくんだ*)」などと考えていましたが、流行(はやり)の研究のライフサイクルなんぞ、本当に短いものでした。
*)連載:「Over the AI ――AIの向こう側に」
ユビキタス、ロングテール、M2M、クラウド、Web2.0などのバズワードを思い出せば、明らかです。そして、新しい技術が登場する度に、私たちエンジニアは、その技術の勉強をやり直す日々を強いられています(ですので、こんな考え方(『万国の労働者よ! 停滞せよ!!』)が出てきてしまうのですが*))。
関連記事:儲からない人工知能 〜AIの費用対効果の“落とし穴”
それでも、「キャリア放棄」が、私たち自身ではコントロールできない「社会システムの変革」によってもたらされるものであるなら、「仕方ない」と諦めもつくかもしれません。
しかし、この「キャリア放棄」が「出産」という生物学的性差(セックス)の制約や、「育児」という社会的性差(ジェンダー)による押し付けが理由であるなら「仕方がない」とはなりません。これは、社会システムの方に ―― つまり私たち日本人全員(×政府の政策担当者)に、その責任があります。
これを「仕方がない」の理論で語るのであれば、誰であろうとも「出産」も「育児」も押しつけられる理由はありません。
私たちの国家は少子化を受けいれ「穏やかな死」を迎え入れれば、それで良いのです(関連記事:「女性の活用と、国家の緩やかな死」)*)。
*)歴史的に見れば、消滅した国家なんて山ほどありますので、あんまり深刻になる必要はありません。ただ、国家の消滅のファイナルステージは、ほぼ例外なく、自暴自棄的な内乱か、周辺国からの非人道的な虐殺付きの侵略が、定番メニューとなりますが。
閑話休題。
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