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GIGAスクール構想だけでは足りない、「IT×OT×リーガルマインド」のすすめ踊るバズワード 〜Behind the Buzzword(16)STEM教育(4)(9/10 ページ)

今回は、全国の小中学生に1人1台のコンピュータと高速ネットワークを整備する文部科学省の取り組みである「GIGAスクール構想」と、その課題から、“江端流GIGAスクール構想”を提案してみました。

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「サイバー攻撃教育」

 今回、私は、日本が、世界28位という大変ヤバい立場にあることに加えて、ちょうどIT教育がGIGAスクール構想に乗かっていることを奇貨として、このヤバい状況を一気にひっくりかえす奇策としての「サイバー攻撃教育」を論じてみました。

 ここまでの話を台無しにするようで申し訳ないのですが、今回の私のコラムの内容が、理性的で良識的な人々によって、キレイにスルー(無視)されるだろうということは、この時点で、私も分かっています(それくらいの常識は、私にもあります)*)

*)それでも、もしかしたら、議論や反論のある方からの意見を頂けるかもしれないと思い、たった今、メールアドレス作りました(stem@kobore.net)。頂いたご意見は、ご希望に応じて、全文無修正で公開致します。

 それでも、ITやOTを学ぶ上で、「サイバー攻撃教育」というものが実施されれば、これは本当に、いろいろな意味で、多くの人々を助け、安心・安全を担保することになると思うのです。

 同時に多くの人を苦しめ不幸にするかもしれませんが、まあ、私は自分の余生を、安全・安心で終えれば十分であり、私が死んだ後の日本国がどうなろうが ―― 正直、私の知ったことではありません。



 では、今回の内容をまとめます。

【1】GIGAスクール構想によって、学校へのスマホ持ち込み問題の論争が事実上終結し、さらに、子どもの登下校時の見守り用のデバイスとして利用可能であることに言及しました。

【2】しかしながら、GIGAスクール構想は、「子どもがわいせつ動画を視聴する」などのトラブルを発生させており、さらに、今後、ネットでのコミュニケーションにおいても深刻な問題を起こし続けるだろうと予測しました。そして、私たちは過去において、これらの問題を何度も繰り返しており、全くその反省が生かされず、そして、今後も生かされないだろうと述べました。

【3】米国と中国のIT教育戦略についての私の所感を述べました。両国とも国民全体のIT教育レベルを上げる気はなく、米国は「必要な人材を引っ張り込む」または「有能な人物のみを優遇する」という戦略を、中国もほぼ同様に「留学した人間を母国に戻す、留学還流」という戦略を出しており、「どの子どもを犠牲にして、どの子どもを拾うか」というビジョンが、明確であることを示しました。

【4】加えて、日本の政治家のITオンチぶりと、その弊害について、具体的な事例を上げて説明し、今回のIT教育についても、英語教育と同様、面倒くさい問題を「子どもに押しつける」ことで解決しようとしている卑怯な姿を明らかにしました。そして「GIGAスクール構想以前に、テメーがJIJI(ジジ(イ))スクールにでも入って、最初からやりなおせ」と言い放ちました。

【5】『我が国のデジタル後進国日本』を決定付けた報告書、IMD「世界デジタル競争力ランキング(*)」について、私(江端)の主観に基づいて、その内容を精査したところ、世界28位という悲惨な状況が、納得できるものであった、という見解を報告しました。そして、その原因となった被告を、省庁、企業、私たち(政治家も含む)と見立てたところ、「全員有罪」と認定し、その中でも「政府」の罪は、突出していると断定しました。

【6】IT教育を、我が国の国家安全保障の観点から見直して、これを解決するアプローチとして、『IT x OT x リーガルマインド』を三位一体とする教育方針の元、ITに関する自己の無知を自覚させ、子どもたちを恐怖にたたき落とした上で、実践的な「サイバー攻撃教育」を行う新しいIT教育論について論じ、実施例を上げて具体的なアプローチを説明しました。

 以上です。



 以前、嫁さんに『ネット選挙は、ブロックチェーンという技術を使うことで、安全かつ確実に実施できるという』という話をしたことがあります(関連記事:「「ブロックチェーン」に永遠の愛を誓う 〜神も法もかなわぬ無敵の与信システム」。これについては、私の中では議論の余地はありません。

 しかし、嫁さんからは、「その安全かつ確実に実施できるネット選挙を、私は、どうやって信じればいいの?」と言われました。

 「『安全かつ確実に実施できる』という、その「なんちゃらチェーン」という技術を私は一生理解することができないだろう。ならば、『そう言っている人を信じる』しかないけど、『『そう言っている人を信じる』ことを信じる』のには、どうしたら良いの?」

―― と。

 つまり、どこまでいっても、「人を信じる」ことには疑義が生じるし、「複雑な技術(デジタル署名等)を理解する」ことはこれからも不可能だと思う。ならば、私たちが信じるものは「過去の実績だけ」ということならないか? と、嫁さんは、アンチテーゼを示してきたのです。

 正直、これは衝撃でした。絶句しました。文句なしに「その通りだ」と思ったからです。

 有権者が、"ブロックチェーンという技術"を、肚の底から理解して納得しなければ、『ネット選挙』を実現する道はないのです。



 「印鑑不要論」については、印鑑と自筆署名は法律上同じ効果が得られることが、法律上明文化されている(民事訴訟法第228条第4項)のですから、印鑑が不要であるということに、議論の余地はありません。つまり「使いたい人は使えばいい」というだけのことです。

 ただ、その稟議のハンコリレーで、行政上の処理が滞って、その時間分のコストが我々の血税で支払われているのであれば、私は「ふざけるな!」と怒ります。

 ハンコ業界の人たちにとって死活問題かもしれませんが、どんな職種であっても、テクノロジーや時代によって、これまでも多くの人が仕事の内容を変えさせられたり、あるいは販路やコンセプトを変えて生き残りを図ってきたりしたのです(私だって、ITシステムの変遷(OSやらクラウドやらマイクロサービスやら)に翻弄されながら、ゼーゼーいいながら勉強する毎日です)。

 ハンコ業界の行く末なんぞどーでも良くて、私が気にしていることは、電子メールなどに添付する書類(電子ファイル)のデジタル署名の信用力です。

 しかし、この信用力も、嫁さんのアンチテーゼ「デジタル署名をどうやって信じればいいの?」に帰着します。

 印鑑については、印鑑証明というシステムがありますが、これはデジタルの世界では何の役にも立ちません。デジタルでは印影のコピペなんぞ、簡単にできてしまうからです。



 詰まるところ、国民の半数以上が、ネット投票の「ブロックチェーン技術」を、電子印鑑の「デジタル署名」を、技術的に理解できるかどうか、にかかっている訳です。そのためには、「公開鍵」や「秘密鍵」についての理解が必要であり、それは、実際に、自分で試してみなければ実感することができません。

私は、IT教育に問われていることの、大きな目的の一つが、「技術を肚の底から理解すること」だと思っています。例えば、「公開鍵」「暗号鍵」を理解するなら、これなどは、本当に優れた教材になると思います。

 しかし、この程度の計算すら、子どもたちから「面倒くさい」と言われてしまったら、 ―― 冗談でなく ―― 日本のデジタル競争力は、28位から280位くらいにまで転落してしまうかもしれません。

 まあ、それも、我が国の子どもたちが、自分で選ぶ道であるなら、それはそれで仕方がないことかもしれません。

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