検索
連載

世界初のICレコーダーを襲った悲劇(1994年)福田昭のストレージ通信(229) フラッシュメモリと不揮発性メモリの歴史年表(10)(2/2 ページ)

1994年の出来事をご紹介する。フラッシュメモリを内蔵する携帯型デジタル音声レコーダーが発表された年だが、この音声レコーダーには意外なエピソードがあった。【訂正あり】

PC用表示 関連情報
Share
Tweet
LINE
Hatena
前のページへ |       

発明家「ウッディ・ノリス」の才能と独断がもたらした大失敗

 しかし「Flashback」は事業的には無惨にも大失敗に終わる。NCCの創業者である発明家ウッディ・ノリス(Elwood “Woody” Norris)が製品化を急ぎ過ぎたためだといわれている。1990年代前半当時、既にノリスは発明家として良く知られた存在だった。


世界初のICレコーダー「Flashback」の構造図。20番が録音用マイク、27番が制御用スイッチ(ユーザーが操作する)、29番がフラッシュメモリのモジュール、36番がスピーカー、37番が録音制御ボタン(ユーザーが操作する)。NCCが取得した米国特許(US5491774)から抜粋[クリックで拡大]

 著名な発明家について記した書籍「発明家に学ぶ発想戦略」(エヴァン・I・シュルツ著、山形浩生解説、桃井緑美子訳、翔泳社、2013年1月初版発行)によると、ノリスは1972年に超音波ドップラー効果を利用した血流測定の特許で時価34万米ドル相当の株式を取得した。また重さが7グラムしかない超小型FMラジオ「FM Sounds」を開発して29.95米ドルで売り出し、数千台を販売した。さらには1980年代後半にイヤフォンとマイクを一体化した携帯電話端末用ヘッドセット「Jabra(ジャブラ)」を開発して1990年代前半までに約700万米ドルを売り上げた。

 数々の成功体験を得たノリスだが、ICレコーダー「Flashback」の開発と事業化では失敗する。その理由が、NCCに販売マーケティング担当バイスプレジデントとして1993年に入社したスティーブ・ブライトビル(Steve Brightbill)へのインタビュー記事として科学ニュースサイト「aNewDomain」に掲載されている(参考)。

 ブライトビルの述懐(記事の最終更新は2013年10月)によると、出荷された製品は重大な欠陥を抱えていた。ソフトウェアのバグにより、電源がオフにならないという基本的かつ初歩的な不良である。ノリスが製品のテスト、それもアルファテストとベータテストの両方とも実施させなかったことが、不良を検出できなかった根本的な要因だという。ブライトビルらが不良を発見して修正する前に、ノリスはインテルにNORフラッシュメモリを追加発注してしまった。「SoundClip」のNORフラッシュメモリは、サプライヤーのインテルがあらかじめソフトウェアを書き込んである。バグの修正が不完全なまま、5000個もの追加発注がかけられた。NCCの株価は急落し、資金不足に陥る。

 残る手段は技術ライセンス契約による資金調達だが、ブライトビルは複数の有力なエレクトロニクス企業と交渉するも、契約はうまくいかなかった。彼は販売とマーケティングの責任者であり、失意の中でNCCを退社した。

(次回に続く)

⇒「福田昭のストレージ通信」連載バックナンバー一覧

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

前のページへ |       
ページトップに戻る