コンピューティングと計測・センシングの限界を打破する量子技術(後編):福田昭のデバイス通信(428) 2022年度版実装技術ロードマップ(52)(2/2 ページ)
今回は「2.6.5.2 量子コンピュータ」と「2.6.5.3 量子計測・センシング」の概要を紹介する。
量子コンピュータよりも早期に実用化されそうな量子計測と量子センサー
量子ビットに代表される量子状態は、電磁界や熱などの雑音によって影響を受けやすい。言い換えると、これらの物理量の変化に対する感度が高い。そこで量子状態の不安定な性質を逆にセンサーとして利用したのが、量子センシングである。固体量子センサー、光格子時計、慣性量子センサーなどへの応用が期待されている。以下は固体量子センサーと光格子時計について簡単に説明しよう。
量子計測・センシングの研究開発に関する現状。左図は磁気センサーへの応用が期待される「ダイヤモンド量子センサー」の適用範囲。右は主要な量子センシング技術の概要説明[クリックで拡大] 出所:JEITA Jisso技術ロードマップ専門委員会(2022年7月7日に開催された完成報告会のスライド)
ダイヤモンドの欠陥が室温で量子ビットを具現化
固体量子センサーは固体材料の量子状態(電子スピン状態)が何らかの物理量によって変化する性質を利用する。研究開発が最も進んでいるのは、ダイヤモンドを材料とする「ダイヤモンド量子センサー」だろう。
「ダイヤモンド量子センサー」は、ダイヤモンド結晶(炭素(C)の結合体)の一部に欠陥を導入することで作成する。この欠陥は、炭素の一部を窒素(N)で置換した欠陥と、隣接する炭素位置に原子が存在しない空孔(V)で形成する複合欠陥であり、隣接する2個の炭素原子を窒素(N)と空孔(V)で置き換えた欠陥ともみなせる。この複合欠陥は「NVセンター(Nitrogen-Vacancy Center)」と呼ばれ、スピン量子ビットとして働く。
NVセンターが特に重要な点は、スピン量子ビットが室温かつ大気圧中で存在し、コヒーレンスを維持する時間がミリ秒と長いことだ。すなわち室温で動作する高感度センサーを理論的には実現できる。磁気センサー、電界センサー、温度センサー、圧力センサーなどへの応用が研究されている。
精度が原子時計に比べて1000倍以上高い光格子時計
現在の標準時間(1秒)は、「セシウム原子時計」によって定義されている。セシウム(Cs)原子が特に吸収しやすいマイクロ波の周波数(9.192631770GHz)から、1秒を決める。誤差は3000万年に1秒(10−15)と極めて低い。研究レベルでは、5000万年に1秒とさらに低い誤差を実現できている。
このような低い誤差になると、重力(地球上では標高)の違いによる時間の進み、あるいは遅れを時計によって検出できるようになる。「アインシュタインの一般相対性理論」から、重力が強いほど(地球上では標高が低いほど)時間の進みがゆっくりとなる(光の波長が伸びる、あるいは周波数が低くなる)ことが知られている。時計の精度が上がれば上がるほど、標高のわずかな違いを短時間で計測できるようになる。
一般的に原子は、特定波長(特定周波数)の光も吸収することが知られている。光の周波数はマイクロ波よりも高いので、原理的には光を使った時計「光時計」は現在のセシウム原子時計よりも精度を高くできる。ここで問題となるのが、原子が移動するとドップラー効果によって周波数偏移が生じ、誤差を大きくしてしまうことだ。何らかの手段によって原子を特定の位置に固定することが、原子時計よりも高い精度の「光時計」の実現に必要となる。この固定技術の有力候補が「光格子」である。
位相の異なる複数のレーザー光を重ね合わせると干渉縞が生じ、市販の鶏卵パックのようにポテンシャルの低い領域と高い領域が交互に現れる。ポテンシャルの低い領域には原子を1個ずつ(それこそパックに入った鶏卵のように)固定できる。固定した原子の配列は結晶格子に似ていることから、「光格子」と呼ばれる。なお原子は極低温に冷却しておく。
東京大学や理化学研究所、島津製作所などの共同研究グループが開発した光格子時計(ストロンチウム(Sr)原子を光格子によって固定)の誤差は100億年に1秒(10のマイナス18乗)と原子時計よりも大幅に低い(2020年4月7日発表のリリースから)。東京スカイツリーの展望台と地上階(標高差450m)に可搬型の光格子時計を設置して周波数の違いを測定したところ、21Hzの差を得た(展望台の時計が早く進んだ)。
東京スカイツリーの展望階と地上階に可搬型の光格子時計を設置して周波数を比較した実験の説明図。東京大学や理化学研究所、島津製作所などの共同研究グループが2020年4月7日に発表したリリースから(この図面は実装技術ロードマップには掲載されていない)
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