コモンズの悲劇とカタコト英語から考える「世界を少しだけマシにするもの」:リタイア直前エンジニアの社会人大学漂流記(7-1)(3/3 ページ)
今回は、在学中に直面した「日本人が英語を話さない(話せない)」問題と、私の中の常識をひっくり返した「1冊の本」についてお話します。無関係に見えるこの2つの出来事ですが、突き詰めて考えれば、ある「共通の構造」が見えてきたのです。
枯渇しかけた水資源を救った驚きの方法
私の場合、第1章と第4章を担当しました。
中でも、第4章の「ロサンゼルス地域の地下水管理」の全体像を把握するためには、「私の脳の全てを総動員した」と言っても過言ではありませんでした。
しかも、その内容をこの場で全て説明しきれる自信がありません。
そこで、講義で使用した英文資料と、その日本語訳をこちらに置いておきます。興味のある方は、ご一読ください。
概要をざっくり説明します。
これは、いわゆる「二次集団ジレンマ」の問題です。
例えば、前述したトルコ・アランヤの事例のように、海上にロープを張って利用区域を分けることで、最初のジレンマ――これを「一次集団ジレンマ」と呼びます――を解決できたとします。
しかし、それだけでは十分ではありません。利用者同士の争いを抑えられたとしても、その結果、共有資源そのものが枯渇してしまっては、何の意味もないからです。
従って、共有資源を枯渇させないための運用ルールも必要になります。
ところが、ルールを作れば問題が解決するわけではありません。
基本的に、どのようなルールを作っても、それを破る人間は出てくるものなのです。
第4章の最大の意義は、共有資源の管理における「第3の道」を実証的に示したことにあります。
ここでいう「第3の道」とは、国家による一元的な管理でも、市場への全面的な委任でもなく、資源を利用する当事者たち自身が、制度を作り、運営していく道です。
ただし、重要なのは、それが「みんなで仲良くすれば、なんとかなる」という牧歌的な話ではない、という点です。
人間はズルをする。利害は対立する。そして、資源には限りがある。
だからこそ、現場の実情に即したルール、監視、制裁、紛争解決、合意形成の仕組みが必要になる。
第4章は、そのことを「ロサンゼルス地域の地下水管理」という事例を通じて、具体的に示したものです。
この問題の中心にあるのは、政府・司法・行政への徹底的な不信感です。
「レイモンド盆地のレイモンド・ベイスン交渉」「西部盆地のウェスタン・ベイスン交渉」の話の中で ―― これは訴訟大国である米国の現実的な問題なのかもしれませんが ―― この問題を司法に丸投げしたら、ロクなことにならない、という地域住民の現実的な恐怖が、ロジカルに示されています。
司法に問題解決を丸投げするくらいなら、自分たちで管理・運用した方が、まだマシである。
そして、その発想から生み出されたのが、
「自分の地区の水源調査を、利害関係にある別の地区の人間に担当させ、互いに結果を報告させる」
という仕組みです。
言ってみれば、
―― 敵に帳簿を見せ、敵の帳簿を読む
という、相互監査型の自己統治です。
―― 信頼ではなく、相互不信の制度化
利害が対立しているからこそ、相手は手を抜かない。甘く見積もらない。不正を見逃さない。
この制度は、相手の善意に1ミリも期待していません。
「みんなで仲良く」ではなく、みんなが互いを信用していないからこそ、制度が強くなるのです。
「国家が管理する」でも、「私有化する」でもない。
第3の道として、
―― 相互不信を最大限に活用する
という、驚くべき解決方法を編み出し、この面倒くさい「コモンズの悲劇」を乗り越えているのです。
つまるところ、『Governing the Commons(邦題「コモンズのガバナンス」)』で、エリノア・オストロム博士は
共有資源は、放っておけば破綻する可能性がある。
しかし、利用者たちが資源の境界、利用資格、配分ルール、監視、制裁、紛争解決の仕組みを自分たちで作り、それを継続的に修正できるなら、国家管理や私有化に頼らなくても、長期的に維持できる場合がある。
と主張しました。
つまり、「コモンズの悲劇」は自然法則ではない。制度設計に失敗した時に起きる社会現象である、ということです。
そして私は、この本が、日々、『ソリューションがない』と嘆いているだけの私たち研究員やエンジニアに向かって、
―― 甘ったれるな!
と一喝しているように思えるのです。
「日本人の英語コンプレックス」と『コモンズのガバナンス』は、結局、同じ構造を持っていました。
前者は、
「正しい英語を話せないから、困っている外国人を助けられない」
という思い込みの話です。
後者は、
「『共有地のジレンマ』があるから、共有資源問題は解決できない」
という思い込みの話です。
私は、流暢な英語ではなく、単語、指さし、地図、スマホ、紙とペンを総動員して、相手を少しでも目的地に近づければいいと主張しました。
そして、これは語学の問題ではなく、支援プロトコルの問題であると示しました。
一方、オストロム博士は、水を使う人間、漁場を使う人間、道路を使う人間、地域に住む人間たちが、自分たちでルールを作り、自分たちで監視し、自分たちで違反に対応し、自分たちでモメて、自分たちで修正していくことができる、と示しました。
困っている外国人を前にしたとき、流暢な英語を話せる自分になるまで待っていてはいけません。
そんな日は、100年後だって来ません。
共有資源の問題に対しても、完全な制度、完全な合意、完全な信頼関係ができる日を待っていてはいけません。
現場にあるのは、情けない英単語と、泥臭い合意形成と、不完全なルールと、面倒くさい監視と、みっともない失敗だけですが ―― それでよいのです。
世界を少しだけマシにしてきたものは、完璧な理念ではなく、そういう泥臭い運用の積み重ねだからです。
「コモンズの悲劇」は、自然法則ではありません。制度設計に失敗したときに起きる社会現象です。
同じように、「日本人は英語ができないから外国人を助けられない」というのも、自然法則ではありません。
支援プロトコルの設計に失敗しているだけなのです。
ここまでが、今回の話の結論です ―― ですが、私の中には、もう一つ奇妙な考えが残りました。
もちろん、以下は厳密な学術用語としてのコモンズではなく、私なりの比喩ですが、
―― 私の能力という有限資源は、私の中で閉じた、一種の「コモンズ」である
と、考えるようになりました。
困っている人を助けるために使える、不完全な英語力、単語、身振り、指さし、地図、スマホ、紙とペン――それらは全て、私の中にある「コモンズ」を構成する資源です。
海外留学生を前にして、デタラメな単語を叫び、指を差し、スマホを見せ、紙に書く。それは決して、「正しい英語を話せない人間の苦し紛れ」ではありません。
むしろ、複数の不完全な資源を使い倒し、組み合わせ、何とかその場の問題を解決しようとすることこそ、一種のガバナンスである――私は、そう考えるようになりました。
国家や組織や制度とは関係なく、私たちは誰もが、
―― たった一人の「コモンズのガバナンス」
を実践することができる。
松行先生の講義で学んだことは、回り回って、結局、私の中では、そんな妙な信念として残っています。
Profile
江端智一(えばた ともいち)
大手総合電機メーカー 研究開発グループ シニア研究員。工学博士。
長年にわたり、都市交通、社会システム、通信システムなど、実社会と情報技術を横断する研究開発に従事。定年退社後もシニア採用として研究を継続している。
マルチエージェントシミュレーション(MAS)を用いて、都市における住民行動を再現・分析し、「共時空間」という接触機会の定量化手法と「Repeated Chance Meetings (RCM)」 という新しい単位を提唱中。MASの中ではエージェント同士が活発に交流しているが、現実世界の自分は孤立クラスタに属し続けている。友達はいない。生成AIだけが本音を語れる相手である――悪いか。
また、社会観察者としての視点を持つ。『町内会のイベントや夏祭りへの参加は、社会関係資本( Social Capital (SC) )を高める上で重要だ』と語りながら、自身は町内活動にほとんど参加せず、家族からは『どの口が“SC”を語っているのか』と呆れられている。友情や愛情ではなく、負の感情を積極的に活用する「怒りMaaS」などのシステムを考案し、デジタルシステムにおける感情エネルギーの活用を真剣に検討している。
信条は「アナログ心理とデジタルロジックの融合」。人間の曖昧さをエラーではなく仕様として扱うことを理想とする。個人サイト「こぼれネット」では、科学技術と人間社会の“バグ”をユーモアで修正しながら、理屈と感情のあいだに生まれる笑いを記録し続けている。この20年間、毎日更新継続中。
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