Intelの創業8年目(1975年):「好事魔多し」、マレーシア工場が火災でほぼ全焼:福田昭のデバイス通信(181) Intelの「始まり」を振り返る(14)(2/2 ページ)
前回に続き、1975年に焦点を当てる。この年、Intelにとって初めての海外工場となるマレーシア・ペナン工場で火災が発生した。工場はわずか1時間で全焼。工場再建までの間、Intelは他社の製造ラインを「時間買い」することで急場をしのいだ。
火災発生後の1時間で工場のほとんどを焼失
火災が発生した日時は、1975年5月1日の午前9時をわずかに過ぎたころと推定されている。発生場所はペナン工場内のモールド(樹脂封止)室。原因は照明設備の不具合によるものらしい。火災は短時間でペナン工場全体に広がり、わずか1時間でほぼ全焼した。「立っているのはカフェテリアだけ。ほかの建物は全て焼け落ちた」とプラントマネジャーのKen Thompson氏は回想している。
幸いなことに、死傷者は1人も出なかった。その日は工場が閉まっていたからだ。それでも金銭的な損失は小さくなく、ペナン工場の当初の投資額である210万米ドルを上回る、250万米ドルの損害が出たと推定された。
ペナン工場の生産が停止したことで、Intelの製品生産は窮地に陥った。やるべきことは主に2つあった。1つは、工場の再建である。もう1つは、再建した工場が生産を始めるまでの期間に、最低限度の生産量を維持すること。後者の方がむしろ、難題だった。
つなぎ生産のために考え出された妙手が、ほかの半導体メーカーの生産ラインを「時間買い」することだ。具体的には、生産ラインのシフトの中で、「グレイブヤード・シフト」と呼ぶ深夜勤務(午前0時以降のシフト)や「スイング・シフト」と呼ぶ夜間勤務(午後4時以降のシフト)の時間帯を、Intel製品の生産用に有償で利用させてもらった。
このつなぎとなる生産は、ピーク時には約5カ所で実施した。そしてIntelの現地従業員に対する給与は火災前と同じく、100%の金額を支払った。
わずか1年足らずで新工場の生産を再開
1976年の始め、すなわち火災の発生から1年も経過していない時点で、再建したペナンの新工場は、生産を始めた。
ペナン工場で最も多忙な日々を送ったのは、プラントマネジャーのKen Thompson氏が率いるグループだった。彼らは1日に22時間という途方もない激務をこなした。彼らの超人的な働きとIntel全社の支援により、工場の再建は非常に順調に進んだと言えよう。
(次回に続く)
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