Intelの創業8年目(1975年):ノイス氏からムーア氏へ、経営トップが初めて交代:福田昭のデバイス通信(182) Intelの「始まり」を振り返る(15)(2/2 ページ)
引き続き、1975年に焦点を当てる。今回は、1975年にIntelの社長を始めとする経営幹部の顔ぶれがかなり変化したことと、その内容を説明する。
共同創業者のMoore氏が2代目の社長に就任
Noyce氏は1927年12月12日生まれ、Moore氏は1929年1月3日生まれなので、両者の年齢差は1年と1カ月に過ぎない。つまりNoyce氏からMoore氏への社長交代には、社長の「若返り」という意味はあまりないことが分かる。二人の関係は前職のFairchild Semiconductor時代から、Noyce氏が先輩でMoore氏が後輩という間柄であり、CEOの地位を先輩から後輩へと自然に譲っていったように感じる。Moore氏はその後、約12年後の1987年3月までCEOを務めることになる。
1975年の経営人事で最も注目すべきなのは、Intelの従業員第1号として知られる、Grove氏がナンバー2に抜擢されたことだろう。Noyce氏、Moore氏、Grove氏の3人がIntelを取り仕切るトロイカ体制が始まったことと、次期CEOの最有力候補がGrove氏になったということの、2つの意味がある。もっとも、Grove氏がCEOに就任するのは12年後の1987年4月なので、だいぶ先のことになる。
1975年の年次報告書(アニュアルレポート)では、経営幹部と取締役会の人事異動について以下のように記述している。まず、Noyce氏、Moore氏、Grove氏については前年の年次報告書で予告した通りである。
組織変更としては、コンポーネント部門(Components Division)を新設した。このため、同部門に関連した人事異動が実施された。同部門のゼネラルマネジャーにはEd Gelbach(エド・ゲルバッハ)氏が就任するともに、同氏は副社長(バイスプレジデント)から上級副社長(シニアバイスプレジデント)に昇格した。また同部門に関連してJack Carsten(ジャック・カルステン)氏、Gene Flath(ジーン・フレイス)氏、Les Vadasz(レス・バダス)氏の3人が副社長(バイスプレジデント)に昇進している。Carsten氏はマーケティング担当、Flath氏は製造担当、Vadasz氏はエンジニアリング担当の副社長である。
(次回に続く)
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