心を組み込まれた人工知能 〜人間の心理を数式化したマッチング技術:Over the AI ―― AIの向こう側に(15)(13/13 ページ)
「マッチング」と聞くと、合コンやお見合いなどを思い浮かべる方も多いかもしれませんが、もちろん、それだけではありません。今回は、ゲーム理論、オークション理論、行動経済学を「マッチング技術」として解説します。実はこれらの技術は、“人間の心理を数式として組み込むこと”に成功していて、幅広い分野で成功事例がみられる、とても興味深く珍しいAI(人工知能)技術なのです。
「シグナリング理論」とは
今回、オークション理論を調べている最中、もう1つの理論を知ることになりました。「シグナリング理論」というものです。この理論の提唱者は、2001年のノーベル経済学賞を受賞した、アンドリュー・マイケル・スペンスさんで、学歴競争の原理を理論的に分析した経済学者です。
「シグナリング理論」とは、ぶっちゃけて言えば、企業と就活学生のマッチングの際に使われる「信号(シグナル)」であるという理論です。
以下が、私なりに理解したこの理論の内容です。
(1)そもそも企業は、就活している学生の実力を正確に把握するのはできない。だから、何かの信号(シグナル)に頼らなければならない、その1つが「学歴」である。
(2)そもそも就活学生(以下、学生)は、企業に対して、自分の能力を正確にプレゼンテーションすることはできない。だから、何かの信号(シグナル)に頼らなければならない、その1つが「学歴」である。
(3)ここに、「学歴」という「信号(シグナル)」によるマッチング関係が、最小のコストで、合理的に成立することになる。
(4)ところが、これを学生側から見ると、必ずしも最小のコストでも合理的でもない。なぜなら、「学歴」という「信号」を点灯させるには、恐ろしくコストが掛かるからである。
(5)例えば、一流大学の合格率が、その家庭の教育に対する物量(投資金額と投資時間)と、比例関係にあることが分かっている(もっとも、どんなに金や時間を使っても、成績が伸びない奴は、伸びないし、英語に愛されない奴は何をしても愛されない ―― ほっといてくれ(「英語に愛されない者は何をしても愛されない、という出発点」
(6)つまり、教育とは、個人が労動市場に送る信号の強度を強めるための投資にすぎず、その勉学自体にはほとんど意味がない。英語も数学も古文も歴史も、信号を強化するための手段であり、その内容なんぞどーだっていい。
(7)さらに企業は、強い信号を発信している就活学生であれば、企業に入ってからの教育コストが小さく済むだろうから、その後に高い賃金を払っても良い、という理屈が成り立つ。
以上より、この「シグナリング理論」を私なりに総括すると、
(A)教育内容に価値が備わっていなくとも、「そこに多大なコストが掛かっている」という理由だけで、教育システムは学歴という「信号(シグナル)」を点灯させるためだけに機能する。
(B)学校や教育機関は、青春の貴重な時間と努力を、「信号(シグナル)」を点灯させる電気に変換するだけの「エネルギー変換装置」であり、同時に、社会に有用な生産財を1グラムも製造させない「エネルギー漏出装置」として機能している。
(C)上記(A)(B)にもかかわらず、教育システム対する投資(私学進学、塾、英会話教室など)は、加速しながら増え続けている ―― ただ「信号(シグナル)」を点灯させるためだけに。
ということになります。
―― なんか、むかつく理論だな〜〜〜
とは思いますが、ぶっちゃけて言えば、そういうこと("学歴"="信号")なのだろうとも思います。
まあ、「企業」と「学生」の関係においては、このシグナリング理論は正しいのでしょう。
ただ、私は、就活学生「本人」と就活学生自身の「人生」の関係においては、自分の人生を楽しくマッチング(あるいはデザインする)という観点から、教育システムと、そこから生まれる知識には、信号(シグナル)以上の価値があると信じているのです ―― というか、私はそう信じたい(著者のブログ)。
しかし、これが「本人」と「婚活・結婚」との関係で語れと言われたら、
―― 「愛」をマッチングすることは、絶望的に難しい
というよりも、
―― 「シグナル」を点灯させることは、絶望的に難しい
といった方がピッタリくるのかなーと、思ったりしています。
かなり切ない気持ちで。
⇒「Over the AI ――AIの向こう側に」⇒連載バックナンバー
Profile
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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