量子ビットを初期化する 〜さあ、0猫と1猫を動かそう:踊るバズワード 〜Behind the Buzzword(3)量子コンピュータ(3)(8/8 ページ)
今回のテーマはとにかく難しく、調査と勉強に明け暮れ、不眠に悩み、ついにはブロッホ球が夢に出てくるというありさまです。ですが、とにかく、量子コンピュータの計算を理解するための1歩を踏み出してみましょう。まずは、どんな計算をするにも避けて通れない、「量子ビットの初期化」を見ていきましょう。
「江端さん、それは言ってはいけないセリフです」
後輩:「最近の江端さんのコラムでは、頻繁にYouTubeを引用されていますね」
江端:「まあ、実際のところ、私、”量子井戸”も、”シュレーディンガー方程式”も、もう専門書なんぞ使っていないからね。かなりの部分をYouTubeの講義で勉強している」
後輩:「そういえば、コロナ禍の”外出自粛”と”遠隔授業”は、現場の教師たちに、過酷なITリテラシーの向上を要求していますね*)」
*)著者のブログ
江端:「少なくとも、『学校へのスマホ持参に関する論争』にはケリがついただろう。加えて、予想もしない方向での「教育改革」……というか、「教育崩壊」が始まっているし*)」
*)著者のブログ
後輩:「まあ、それはさておき、今回は、冒頭の『"量子井戸"の量子計算は、化学専攻の大学生の一般教養』の話から、いきなり盛り込んできましたねえ」
江端:「今回、その”井戸”も”シュレーディンガー”も、まあ、信じられないくらい優れた動画が山ほどあって、ビックリしているんだ。これが、ある分野の人間にとっては「専門知識」ではなく「常識」であることにも、驚いている」
後輩:「江端さん、恥ずかしさで転げ回ってしまう、と書いていましたけど、まあ、私たち理系の世界って、基本的に、お互いに分からないことだらけじゃないですか」
江端:「まあね。そういえば、轢断のシバタ先生(医師)が、『コンピュータのカーネルを改造できる江端さんに比べれば、私のやっている手術なんて簡単なものですよ』というようなことをメールに書かれてきたことがあったんだけど、あの時は『そんな訳あるかぁーー!』って、ツッコんでしまったなあ*)」
*)私が殺した(壊した)カーネルの数は、100を下ることはないでしょう。
後輩:「これは、身内びいきもあるかもしれませんが、私たち理系の世界には、自分たちの技術に対して傲慢にならず、他の人の技術に対して高い敬意を払うことができる、そういう文化があると思うんですよ」
江端:「確かに、『自分の分野の知識を、他人が理解できなくても、それは当然だ』と思えるし、その逆も当然だと思える。理系同士は、”相互敬意”の関係を作りやすいのかもしれない」
後輩:「『理解し合えないことを理解し合う』ことの意義については、江端さんの十八番(おはこ)ですしね」
後輩:「そういう観点から見ると、今回の江端さんのコラムには、かなり文句を言いたいです」
江端:「というと?」
後輩:「江端さんは、これまで、自分の周りにいる人間たちの無責任な無理難題を、現場にとどまって『形』にするために奮闘努力をしてきたんでしょ?」
江端:「そうだなぁ。深夜の自動車の中でコーディングしたり、雨や風の中で配線の防水テープを巻いたり、深夜4時ごろに大学キャンパスを走り回ったり、毎日、突然のシステムダウンや通信障害におびえて、眠れない日々でノイローゼ直前まで至ったり ―― そして、『誰も助けてくれなかった』かなぁ」
後輩:「そんな地獄の中にあって『まだ動かないのか?』と言い放つのではなく、『ここまで作ったのか!すごいぞ!!』と言ってくれたら、どんなに助かっただろうに、とか思ったことはありませんか?」
江端:「そんなの言うまでもない。うれしくて、泣いてしまうかもしれない。でも、私の作ったシステムを誰も理解してくれないし、そのシステムの複雑さに1mmたりとも近づこうとすらしてくれないんだ*)。そんな彼らから、『ここまで作ったのか!すごいぞ!!』なんて言葉が出てくるわけないだろう」
*)もちろん、私は『自分が作ったシステムは、他人には簡単に理解できない』ことも、良く知っていますが。
後輩:「その通りです、江端さん。それではお尋ねしますが、今の江端さんは、このコラム執筆のために、七転八倒の日々を送り、『量子コンピュータという名の地獄』を俯瞰できる立ち位置にいる訳ですよね」
江端:「まあ、そうだな」
後輩:「今の江端さんは、量子コンピュータを「概説する」立ち位置ではなく、「フィールドで闘っている人」の地獄が見えているんですよね」
江端:「まあ、そうだな」
後輩:「ならば、世界中の誰でもない江端さん。今のあなたこそが、量子コンピュータの地獄で闘っている人に対して、『ここまで作ったのか!すごいぞ!!』と、彼らを鼓舞し、力づけ、勇気を与える側に立っていなくて、どうするんですか!」
江端:「え?」
後輩:「『現時点で、量子コンピュータって、本当に動いていると言える?』―― 江端さん、これはダメです。これは、同じ様な地獄の現場で闘ってきた「フィールドのエンジニア」が言っていいセリフではない」
江端:「いや、私の批判の対象は、無知で、無勉強で、外国の研究者の言葉を翻訳して並べるだけの記事しか書けない、自称『技術ライター』たちであって……」
後輩:「そんなことは分かっています。しかし、あの低能ライターたちへの江端さんの痛烈な批判が、量子コンピュータのフィールドエンジニアたちにも被弾して、彼らの心が折れてしまったら、どう責任を取るつもりなんですか?」
江端:「そんな、ムチャな……」
後輩:「江端さんが考えているより、このシリーズのコラムが、この量子コンピュータの世界の人達に与える影響は大きいんですよ。私は、日本中の量子コンピュータに関わる全ての人が読んでいると確信しています」
江端:「そうかなぁ?」
後輩:「もう一度、確認しますが、少なくとも、江端さんは、量子コンピュータに関わる人たちを支える側ですよね」
江端:「もちろんだ。私は、いつ、いかなる時も、闘うエンジニアの側に立つ者だ」
後輩:「それなら、江端さんは、その旗幟(きし)を明らかにしなければなりません。今こそ、『量子コンピュータは必ず私達の目の前に現われ、私たち人類に輝かしい未来を与える』と、高らかに宣言するのです ―― あの低能ライターたちとは違ったアプローチで」
Profile
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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