このように、私(たち)が必死で対応してきた課題は ―― 時間と技術の発展によって、『え? それが課題なの?』というくらい陳腐になっていきました。で、問題は、私がせっせと記載してきた論文は、『今や、課題以前の汎用技術に関する事項ばかり』になっていることです ―― この果てしない“むなしさ”、“恥ずかしさ”が、あなたに理解できるでしょうか ―― いや、できまい。
エンジニアにとって、年を取るということは、単に年を取ることだけでなく、自分のやってきたことが「無駄であった」ということを再確認するフェーズでもあるわけです ―― 年齢を重ねるということの恐怖の一端だけでも理解して頂けたら、と思います。
もちろん、私(たち)がやってきたことが、せめて次の世代への「踏み台」となっていれば、救いはあります。
しかし「ギガビットの光回線が自宅にやってくる」という、―― 「川から村の間に水瓶で生活用水を運んでいた」ところに、いきなり村の目の前に「黒部ダムなみの水源」がやってきた ―― というこの状況で、私(たち)がやっていたことが一体何の役に立ったと言うのか? 私(たち)がやっていたことは、「水瓶の数」と「その水を運ぶ人間」の最適スケジューリング問題を解いていただけなのです。
―― 私(たち)が、いても、いなくても、世の中は大して変わらなかった。
このように、大学入学の準備は、自分のやってきた(人生の大半の)仕事の「棚卸し」を見える化して、虚無感に陥らせる、という恐ろしいプロセスを含んでいるのです。
加えて言えば、前述の各種書類――研究業績一覧、職務経歴書、研究計画書、志望理由書といったものも、なかなかに残酷です。
これらは形式上、「これまで何をやってきたか」「それがどのように積み上がっているか」を淡々と書き出すことを要求しますが、実際にやらされるのは、自分の人生を箇条書きに分解し、番号を振り、枚数制限の中で削り落とす作業です。
「あの頃は必死だった」「当時は確かに意味があった」と思っていた仕事が、A4用紙1枚の中では、1行か、せいぜい2行に圧縮されます。
そして、削られた項目の方が圧倒的に多い。残った項目についても、「これは今でも意味があるのか」「現在の研究テーマに接続できているのか」という冷たい視線を、自分自身に浴びせることになります。
その結果として浮かび上がってくるのは、「積み上げてきたはずのキャリア」ではなく、「今となっては説明しづらい過去の山積み」です。
書類は評価のために提出するものですが、実際には、過去の自分自身に対して下す評価プロセスでもあるわけです。
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