さて、田中伸治先生の「交通システム工学特論」、安部遼祐先生の「都市交通計画特論」に引き続き、今回は松行美帆子(まつゆき みほこ)先生の「地域計画特論」の講義の話をさせて頂きます。
2024年秋学期当時の松行先生の講義は、私のほか、博士課程の海外留学生2人を加えた計3人で、松行先生から指定された書籍について、章ごとに発表者を割り当てるという形式でした。
90分の講義の前半では、各自が作成したPowerPointを使って英語でプレゼンテーションを行い、後半では、英語による質疑応答を行います。
私はこの講義で、私の中にあった「常識」をひっくり返す一冊の本に出会うことになります。
『Governing the Commons』(邦題『コモンズのガバナンス』)です。エリノア・オストロム博士は、この業績により、2009年にノーベル経済学賞を受賞されています。
ちなみに、松行先生の講義では「Rebel Cities(邦題: 『反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造』 」も使いましたが、今回は、ページの都合で、こちらの講義については割愛します。
この本「コモンズのガバナンス」の紹介文は、Webページにも記載されています。
“The governance of natural resources used by many individuals in common is…and other water rights, and fisheries.”
私は、この紹介文を一読して、
―― そうじゃねえだろう
と呟きました。
どうにも、この本の本質を説明しているようには思えなかったのです。そこで、私なりに、この本の紹介文を書いてみました。
(江端風紹介文)
多くの人は「コモンズの悲劇」という言葉を、ほとんど自然法則のように受け止めている。多くの人が共同で使う資源は、結局、誰かが自分の利益を優先し、やがて食いつぶされる。だから、国家が管理するか、私有化するしかない。
しかし、エリノア・オストロムは、そのような単純な理解をたたき壊してくる。彼女が示しているのは、「コモンズの悲劇は絶対的な運命ではない」ということ、つまり、共有資源は、必ず破滅するわけではない。
政府が強制的に介入しなくても、私有財産化しなくても、当事者たち自身が自治組織を作り、ルールを設計し、監視し、違反に対応し、資源を維持してきた事例が実際に存在する。
もちろん、それは簡単な話ではない。人間は善意だけで動くわけではない。ただ「みんなで仲良く使いましょう」と言えば済むような、牧歌的な話でもない。
ルール作り、合意形成、監視、制裁、紛争解決、外部権力との関係――そうした面倒で泥臭いプロセスを、当事者たちは積み重ねていかなければならない。
この本は、「共有資源だから破滅する」と決めつけるのではなく、「どのような条件なら破滅を回避できるのか」を、実証的に問い直している。
本書は、「コモンズの悲劇」という言葉を知っただけで、分かったような気になって何もかも諦めるんじゃねえ、と言いながら、私たちの安易な諦念を、世界各地で実際に行われてきた自治的な取り組みの実例でぶん殴りにくる1冊である。
―― と、まあ私ならこう書く。
ともあれ、この本の内容を理解していただくためには、まず、
「『コモンズの悲劇』とは何ぞや」
を説明しなければならないでしょうが、これは、それほど難しい話ではありません。
ここからは、私が講義で使用した英文のプレゼンテーション資料を日本語に訳しながら、説明していきます(原文はこちら)。
Aさんは、もともと10頭の羊を持っています。羊1頭当たりの利益が1万円なら、Aさんの利益は10万円です。
ここでAさんが、自分の羊を1頭増やして11頭にしたとします。
羊を1頭増やすと、共有地の草が少し劣化し、羊1頭あたり100円の損失が発生します。 Aさん自身もその損失を受けますが、それでも追加した1頭から得られる利益の方が大きいため、Aさん個人としては、
10,000円 − 1,100円 = 8,900円
の利益が残ります。
つまり、Aさんだけを見れば、「羊を1頭増やすのは得である」と判断できます。
ところが、この話、Aさんだけで完結しません。
共有地の草地が劣化すれば、そこを利用している他の羊飼いたちの羊にも、同じように損失が発生します。この例では、Aさん以外の9人がそれぞれ10頭ずつ羊を持っているため、Aさん以外の羊90頭にも損失が及びます。
結果として、Aさんは8,900円を得る一方で、他の9人はそれぞれ1,000円ずつ損をします。
Aさんは得をする。しかし、その得の裏側で、Aさん以外の人々が損をする。これが「コモンズの悲劇」の出発点です。
この問題の恐ろしさは、Aさんの行動が、Aさん個人の利益だけで完結しないところにあります。
Aさんが羊を1頭増やすたびに、共有地という、共同体全体の基盤が少しずつ劣化し、その損失はAさん以外の人々にも分散して押し付けられます。しかも、この行動が他の人々にも広がれば、共同体全体の利益は増加するどころか、縮小し続け、最悪の場合には消滅します。
つまり、ここで起きているのは、単なる自由競争ではありません。個人にとって合理的な投資行動が、共有資源を劣化させ、最終的には市場や共同体そのものを食いつぶしていく、という構造です。
競争原理が、市場そのものを破壊する ―― これが「コモンズの悲劇」の本質です。
つまりこの問題は、「放牧地と羊」の話にとどまらず、「海域と漁獲量」「地下水源と作物」「大気と排出量」「道路と交通量」「電波帯域と通信量」、さらには「共有サーバと計算負荷」にまで、しれっと顔を出してくるのです。
そして、現時点において、この問題を一発で解決するロジックも方程式も、万能薬も銀の弾丸も、存在しません。
「コモンズの悲劇」によって、私たち人類は泥まみれの現場で奪い合い、押し付け合い、殴り合い、時には殺し合いにまで発展しました。事実、有史以来、世界はその通りに動いてきたのです。
ところが、その絶望的に見える問題に対して、「世界には、努力と根性と話し合いと、そして何よりも制度設計によって、この問題を乗り越えた実例がある」ことを、そのメカニズムとともに示したのが、オストロム博士の Governing the Commons(邦題『コモンズのガバナンス』)なのです。
下の図は、「コモンズの悲劇からは逃れられない ―― それ故、こうなる」と示したものです。
つまり、共有地問題については「国家に丸投げすればいいじゃん?」ということです。
あるいは、「共有地を区切って、全部私有地化すれば、いいじゃん?」ということです。
ならば、これは、どうすればいいでしょうか?
で、オストロム博士は私たちに問いかけるわけですよ。『それって、本当に唯一の方法なの?』って。
私(江端)風に言えば、―― 私たちは問題を単純に考えすぎる。ちゃんと問題全体を正しく把握しているのか? です。
とまあ、後から見れば、「そんなこと、当たり前じゃん」と言えるかもしれません。
しかし、
という現実を考えれば、当たり前は、まったく「当たり前」ではないのです。
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