今回は、在学中に直面した「日本人が英語を話さない(話せない)」問題と、私の中の常識をひっくり返した「1冊の本」についてお話します。無関係に見えるこの2つの出来事ですが、突き詰めて考えれば、ある「共通の構造」が見えてきたのです。
3年間の休載を経て戻ってきました。休載していた理由は、私はリタイア(定年退職)間際だったにもかかわらず、「MAS(マルチエージェントシミュレーション)」を研究すべく、社会人のまま大学院博士課程に突っ込んでいったからです。なぜ“そんなこと”になったのか――。そして私をそこまでさせた「MAS」とは何なのか。社会人大学院生の実態を赤裸々に語りつつ、MASを技術的に深掘りしていきます。
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在学中、ゼミ室で、ある海外留学生から「大学構内で建物の場所を聞いたら、腕で大きな×印をされて、『私は大学の学生ではない』と対応された」という話を聞いて ―― 私(江端)がキレました。
「日本に滞在しているなら、日本語をしゃべるべきだ」――私もそう思います。
では、なぜ私たちは、「英語」という教科を10年近くにわたり、しかも、最も学習効率が高いとされるティーンエージャーの時期を狙って、学ばされているのでしょうか。
この問いに対する最も明快な答えは、「入学試験のため」です。
しかし、それなら私たちは、人生に何の役にも立たないものに、膨大な時間を費やしていることになります。そんなものであるなら、令和の攘夷*)革命を起こして、日本政府を倒し、英語教育を我が国から抹消させるべきです。
*)攘夷(じょうい):外国の勢力や文化を日本から排除しようとする思想・運動
では、なぜ誰もこの革命を主導しないのか――理由は明快です。我が国は、他国に頼らなければ生きていけない国だからです。
「日本に滞在するのであれば、日本語をしゃべるべきだ」と主張するのであれば、当然、「その国に頼るのであれば、その国の言葉をしゃべるべきだ」としなければなりません。そうでなければ、上記の攘夷革命は、見事なダブルスタンダードになります。
これは、日本に限った話ではありません。
しかし、世界には150を超える国家があり、7000もの言語が存在するといわれています。その全てに対応するのは、どう考えても合理的ではありません。
では、最もラクをするには、どうすればよいのか ―― 結局のところ、英語が一番「安い」のです。
これをもう少しかっこよく言い換えるのであれば、
――「英語」を、世界と接続するための基礎インフラにしよう
そういうことにして、世界は諦めたのです。
話を冒頭に戻します。
『真っすぐ歩いて5分くらいのところを右に曲がってください。S4という建物の案内が見えると思います。その建物です』と教えてあげたいなら、
『ゴー ストレート ファイブミニッツ。アンド、ライト、S4、メイビー、ザット・イッツ』
で十分。
“Go straight for five minutes, and turn right. You may find a sign that says “S4.” That may be your destination. I hope this helps.”
などという英語は、質問した人ですら期待していないと思います(確信)。
私は、こんな流暢(りゅうちょう)な英語をしゃべる日本人を見たことありませんし、そんな日本人、私は嫌いです*)。
*)「(1)「英語で困ったことは一度もない」、「英会話は日本人の常識だ」と考えている人は対象外です。私はあなたが嫌いです。」
『頭の中にある、あらん限りの英単語を叫べ! それで、8〜9割の留学生を助けられるんだ』と、私はずっと言い続けてきましたが、この国は全く変わる素振りを見せません。
『大学キャンパス内にいる人間が、海外留学生を助けない』という事実に私は憤慨しました。
そして、その留学生に我が国(日本国)を代表して陳謝しました(本当)。
その後、私は、彼女から20分間くらい、日本国内における愚痴を一手に引き受けていました。
彼女が困っていたのは、日本人の英語力が低いことではありません。
いや、もちろん、それ自体が問題である可能性はあります。しかし、英語を母語としない国では、どこの国の人も英語に苦労しています。(私の経験からは)フランス人もドイツ人も同じです。
問題は、日本人が「英語を流暢に話せない」ことを理由にして、困っている外国人を助ける方法を知らないことなのです。正確に言えば、助けたいと思っていても、どう動けばよいのか分からない。
この場面で重要なのは、「日本人が流暢な英語を話せなかった」という話ではありません。
単語、身振り、地図、スマートフォン、紙とペン――そのうちのどれか一つでも使えば、助けられたかもしれない。それなのに、その方法を知らないということです。
助けてあげましょうよ。せめて、助ける「ふり」だけでもしましょうよ。そして、どうしても助けられなかったら、『役に立てなくて、ごめんね』と言い残して、逃げてしまえばいいのです。
『ファイティングポーズだけの日本人』で上等です。まずは、ここを目指しましょう。
難しいと思いますか? 例えば、『ワタシ、イク、シンジュク。オカネ。キップ』と叫んでいる外国人がいたとして、何をしてほしいのか分からない日本人がいるでしょうか。
恐らく、ほとんどの日本人が、その外国人を券売機の前まで連れていき、新宿行きの切符を買うところまで手伝えるはずです。
私は、20年前からずっと言い続けています。
必要なのは「英会話」ではありません。「英単語」です。
しかし最近は、
―― これは、日本人だけが悪いわけではないのかもしれないな
と思い始めています。
海外から日本に来る人にも、日本人の英語に対する国民性を、ある程度は理解してもらう必要があるのではないか、ということです。
私たち日本人は、英語を使えないことを「ものすごく恥ずかしい」と感じる、少し不思議な国民です。
この理由について、私なりに整理してみました。
第1に、日本人は英語を「通信手段」ではなく「採点対象」として学んできた。
日本人にとって英語は、長い間、会話の道具というより、試験科目でした。つまり英語とは、「通じれば勝ち」ではなく、「間違えたら減点」の言語だったわけです。
第2に、その結果として、日本人は「英語ができない」ことよりも、「英語を間違える」ことを恐れるようになった。
海外から来た人にとって、道を聞くことは普通の行為です。しかし聞かれた日本人側は、しばしばこう受け取ります。
―― うわ、英語の実地試験が始まった
で、その結果、逃げる。目をそらす。別方向を指さす。“Sorry, no English”で会話を遮断する。
第3に、日本人は「不完全な親切」を提供する訓練を受けていない。
道案内も、「目的地まで正確に案内できる」「正しい英語で説明できる」「相手を確実に安心させられる」という水準に達していないと、最初から手を出さない。もちろん、そんな日は100年後にもやってきません。
つまり、これは「英語ができない国民」という話ではありません。
英語ができないことを過剰に恥じ、その恥の感情が、親切心より先に起動してしまう国民、という方が近いと思います。
だから、最近は思うんですよ ―― 来日者側(海外留学生を含む)にも、努力をしてもらわないと、と。
具体例で示しましょう。
“Could you please tell me how I can get to Shinjuku Station from here?”
ではなく、
“Shinjuku. Train. Ticket. Where?”
でよい。
要するに、日本で困ったときは、英語の文章を作らなくていい。目的地の住所、Google Mapsの画面、ホテル名、駅名を見せて、Here? How? Where? Bus? Train? と単語だけで押し切ればよいのです。多くの日本人は、英語を聞き取るより、文字・地図・画面を見る方が圧倒的に強いからです。
海外留学生の場合は、生活がからんでくるので、ちょっと複雑になりますが、基本方針は同じです。
大学は留学生に対して、
日本人は英語で説明することを恐れる場合があるので、文字・地図・書類・QRコードを見せてください。
と明示的に教えるべきで、「スマートフォン(スマホ)は、日本社会で生きていくためのハンドブックです」 と言えば、納得してもらえるでしょう。
もう一押ししましょう。 ―― 私は、内閣、外務省、観光庁、JNTO、文科省、大学に対して、以下のメッセージの発信を提言します。
A. 来日者向け
メッセージはこれです。
“In Japan, short words, maps, and gestures work better than long English.”
「日本では、長い英語より、単語・地図・指さしの方が通じます」です。
B. 日本人向け
日本人向けには、こう言えばよいです。
「英語で答えなくていい。単語で返せ。指をさせ。スマホを見ろ。駅員を呼べ。それだけで立派な助けになる」
これは行政広報としても成立します。
要するに、私が言いたいのは、「日本人は英語を勉強しろ」でも、「来日者は日本語を勉強しろ」でもありません。「双方が、完全な言語を捨てろ」ということです。
これを「語学」の話にしてはダメです。正しい英語、美しい日本語、失礼のない表現、完璧な案内 ――そんな未来は100年たってもやってきません。
その間に、外国人旅行者や海外留学生たちは駅で迷い、バス停で立ち尽くし、大学キャンパスで遭難します。
これは「語学」ではなく、「支援プロトコル」の問題なのです。
それでも、私にはこんな声が聞こえてくるのです。
『江端、お前は「英語に愛されない」などと言いながら、それでも英語を使って、どうにか日常をしのいできた人間じゃないか。そんな人間が「英語なんぞしゃべらなくていい」と言っても、しょせんは、できない者に向けた上から目線の説教にしか聞こえない』
―― 逆です。
これは、英語に散々殴られ、蹴られ、恥をかかされ、それでも必要に迫られて使い続けてきた私が見つけた、最終解なのです。
NHKラジオ英会話やTOEICからでは、決して得られない、もっと低く、もっと情けなく、もっと現実的な話です。
―― 「正しい英語を話せないから、英語を使わない」という言い訳を、そろそろ止めませんか?
必要なのは、会話能力ではありません。
困っている人を前にして、自分の貧弱な英単語をさらけ出す覚悟です。
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