組み込み技術者が社会的に不足している中、教育機関の対応が非常に遅れている。東京工業高等専門学校では、学生の自主性を生かしながら組み込み技術者向け教育のありかたを探ってきた。IT技術者教育とは異なる教育の内容について聞いた。
EE Times Japan(EETJ) なぜ工業高等専門学校(高専)で、組み込み技術者の育成教育が必要なのか。
松林氏 社会的な要請が高いにもかかわらず、教育機関の取り組みが遅れているからだ。情報処理推進機構(IPA)が公開する資料では、組み込み技術者は2007年時点で23万5000人だ。一方、不足人員は10万人に達するという。まず、絶対数が足りていない。こうした中、携帯電話機の動作不良や、自動改札機の障害など組み込み機器の不具合が多発している。これらの不具合を調査してみると、製造上の問題ではなく、そもそもの設計、つまり組み込まれたハードウエアとソフトウエアの不具合が主な原因である。開発現場にいかに優秀な技術者を送り込むかが求められている。
組み込み機器では、8割の企業が開発を外部委託しており、その委託先の8割が国内の中小企業だ。東京高専が立地する八王子市には組み込み関連の企業が多く、東京高専では卒業生の約半数が多摩地区に就職する。つまり、足下からも組み込み技術者の育成が求められている。
ところが、国内には組み込み技術者を養成する講義を用意した教育機関がほとんどない。ソフトウエア開発を学んだり、IT技術者を育成する教育プログラムは多数用意されているが、組み込みに対する教育は非常に遅れている。東海大学の専門職大学院組込み技術研究科の取り組みが最も早かったが、2009年4月に修士課程を修了した学生が初めて出たという段階だ。人数も少ない。奈良高専でも取り組まれているが、社会人が対象だ。一般の学生に向けた教育が必要である。
EETJ どのような教育を施すのか。
松林氏 講義を通じた教育と、学生の自主性を伸ばす教育の2つに分かれる。
私が機械工学科で教えていた2007年3月までは、東京高専には組み込み技術者向けの課程がなかった。同年4月に情報工学科に異動したときには、まずカリキュラム作りから始める必要があった。
他の教育機関にも組み込み技術者向けの課程は存在しなかったため、東海大学と協力し、地元企業の要望を調べ、卒業生を交えた研究会などで調査を重ねた。まず組み込み技術者に必要な能力を4つに分類した。プロジェクト間の調整ができ方向性を決められる能力、課題を発見する能力、事故例を収集しフェールセーフを取り入れる力、開発コストだけでなく環境への配慮を持つことだ。
具体的な学習課題は4つに絞り込んだ。OSを用いずハードウエアに近いレベルでマイコンと入出力を組み合わせる手法、用途と機器構成に合わせたOSのカスタマイズ、OSがすでに組み込まれた携帯電話機などの機器でのソフトウエア開発、SoCやFPGAを用いた設計だ。
マイコンについては古くから教育プログラムが充実している。だが、他の3つは教材もなければ、教えるノウハウもない。手探りで進めることになった。
学生の自主性を伸ばす教育にはコンテストが役立つ。私は10年ほど前からNHKが主催する「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト」(ロボコン)に協力している。組み込み分野については、2006年ころ、たまたま、米Microsoft社が主催する国際的な学生向け技術コンテスト「Imagine Cup」について知り、興味を感じていた。
そこで、2007年に組み込みOSであるWindows CEが動作するImagine Cup用の標準機器「eBox」をマイクロソフトから1セット譲り受け、もう1セットを別途用意して、優秀な学生2人に課外学習として取り組ませた。OSのライセンスについても、同社と交渉し、教育用途に限って無償利用が可能になった。
講義を通じた教育では、情報工学科の他の教員や学外の協力企業に講師を依頼することも進めている。しかし、学生の自主性がなければうまくいかないと考えた。コンテストを通じ、学生自身が他の学生に教える下地を作りたかった。
EETJ 組み込み開発の学習をしつつ、コンテストに参加するのは難しいのではないか。
松林氏 確かに高専生は忙しい。東京高専の場合、木曜の午後以外は1限から8限まで講義があり、週に3本はリポートを提出しなければならない。だが、高専生はもともとモチベーションが高い。中学校卒業時点で技術に興味を持ち、技術者になりたいと考えている。目的意識の高い学生は自ら学ぼうとする。
だが、優秀な学生が集まっているものの、教育カリキュラムが十分でなかった。優秀な学生は教える手間もかからない。彼らをもう一手間二手間かけて育てられないかと日ごろから考えていた。教員の自由になる教育リソースのほとんどは補習や補講などの形で、なんとか卒業できるという学生に割かれてしまう。優秀な学生もそうではない学生も同じ卒業証書を手にして卒業していく。そこでまずコンテスト出場という目標を与えた。
加えて、もう1つの試みも立ち上げた。「組み込みシステムマイスター」と「学生教育士」という独自の資格認定制度だ。組み込みシステムマイスターは、機器を自ら設計し、組み立てた学生に与える。
もう1つの学生教育士は、他の学生に教える能力がある学生に与える。情報工学科では、独自の教材作りやプログラミングの講義などを学生教育士をめざす学生に任せるような教育方法を、主に組み込み技術者教育の中で実施している。教える力は、全体の段取りを見渡す力につながる。スケジュール管理や工程管理を学習していることになる。このような能力を持った学生を企業が望む。伸びる学生をさらに伸ばして、地域に優秀な組み込み技術者を送り込みたい。
EETJ 2009年7月のImagine Cupカイロ大会に東京高専の学生が出場したが、取り組みはうまくいったのか。
松林氏 2年間の準備期間は短かった。だが、カイロ大会ではWindows CEとセンサーを組み合わせた「電子母子手帳」で1次予選と2次予選を突破し、本大会に出場できた。2次予選を通過したチームは世界で20チームだけだ。最初に機材を渡した2人の学生にさらに4人が加わったチームで開発した。この学生たちが学生教育士や組み込みシステムマイスターの最初の候補でもある。
EETJ 学習の自主性を高める教育で重要なことは何か。
松林氏 高専ではプロジェクトベースラーニング(PBL)という教育法が広く採り入れられている。例えば、市販の扇風機から制御用ICを取り外して、内部を解析し、学生が設計したマイコンと入れ替えて動作を再現させるという学習方法だ。だが、課題だけを与えて学生の自主性にまかせ、放任する場合が多く見られる。これではうまくいかない。その課題に関する基礎的な講義メニューを準備し、学生の手に負えないときには質問に答えるという形で協力しなければならない。
東京高専の組み込み技術者教育は情報工学科に限らず、全ての学科の学生が受けられる。組み込み分野に必要な知識・技能は幅広く、異なる学科に所属する学生同士が、得意分野を教え合うことが重要であり、さらに上級生が自主的に下級生に教える体制を作ることが大切と考え、このような教育を実践した結果が、Imagine Cup出場へとつながった。
松林 勝志(まつばやし かつし)氏
1989年3月、山梨大学大学院工学研究科修士課程精密工学専攻修了。1989年3月、浜松職業訓練短期大学校自動機械科講師。1991年4月、東京工業高等専門学校機械工学科助手、1997年4月同講師、2001年10月、同助教授。1999年5月〜2000年4月には、英University of Dundeeにて文部省在外研究員となる。2005年3月、山梨大学大学院工学研究科博士後期課程物質工学専攻修了。2007年4月より現職。
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