センサーが収集するデータをリアルタイムに解析し、価値のある情報を自動的に抽出する。そんな機能を備えた「スマートシステム」が新たな世代を築きつつある。その新世代では、データが通貨の役割を担う。データセンターの解析エンジンと組み込みコンピュータを連携させ、新たな金脈を掘り起す取り組みが始まった。
Watson(ワトソン)、Siri(シリー)―― われわれは彼らに人間の名前を与えた。彼らがどれほど人類に近い存在かを示唆しているといえるだろう。
今日のスマートシステムは、以前はリアルタイムに自動処理することが不可能だったタスクを、いとも簡単に扱えるようになった。そして、世界中でリアルタイムに発生する何十億ものデータストリームが流れ込んだ情報の海を解析エンジンでマイニングすることで、実態として存在するスマートシステムそれ自体をも上回る価値をもたらすサービスを生み出している。
Watsonは、IBMのスーパーコンピュータである。2011年2月に、米国のクイズ番組「Jeopardy!(ジョパディ!)」で人間のチャンピオンと対決して勝利を収め、大衆の注目を集めた。Siriは、Appleがスマートフォンの最新機種「iPhone 4S」に搭載した音声アシスタント機能だ(図1)。ユーザーが思いつきで口にするほぼあらゆる質問に、自然な英会話で応答する。電話を所有できる人なら誰でも、すばらしいスマートシステムをポケットに入れて持ち運べる時代になった。
まばゆいスポットライトを浴びるWatsonやSiriの他にも、「スマート」なシステムは、エレクトロニクスが応用されるほぼ全ての分野で既に広がっている。自動車から工業、通信、コンピュータ、輸送、エネルギー、医療、家庭用ヘルスケアに至るまで、無数のスマートシステムが稼働しているのだ。事実、米国の大統領科学技術諮問委員会によれば、そのような「サイバーフィジカルシステム」は、やがて世界の全てのエレクトロニクス機器の50%を占めるまで拡大し、米国の戦略的な資産になるという。
このシナリオに応じて、米国標準技術局(NIST:National Institute of Standards and Technology)はスマートシステムの性能を計測して比較するための基準や手法、さらにスマートシステム間の相互接続性を実現するインタフェースの標準化を進めると発表した。このような取り組みが進展すれば、米国企業は国内でスマートシステムを設計し、それをコストを抑えながら海外で製造できるようになる。
期待される見返りは非常に大きい。市場調査会社のIDC(International Data Corporation)によれば、既に世界で年間20億に近いスマートシステムが出荷されており、1兆米ドルの市場を生み出しているという。しかもこれらの数字は、2015年までに40億、2兆米ドルまで拡大すると同社は予測する。
IDCは、スマートシステムが提供するサービスの中で最も価値が高いのは、リアルタイムデータストリームを解析するアプリケーションから生み出されたサービスだとみる。同社で半導体分野の市場調査担当バイスプレジデントを務めるMario Morales氏は、「データは新たな“通貨”だ」と指摘した。これを理解している企業は、その価値を引き出せる解析エンジンとインフラを既に開発中だという。そうした企業として同氏は、IBMやHewlett-Packard(HP)、Intel、Microsoft、Texas Instruments、Freescale Semiconductor、Oracleなどを挙げた。
Morales氏はこう話す。「私たちは過去3年間にわたって、コンピューティングの分野だけでなく、ネットワーキングの分野でも、さらにはユーザーがスマートデバイスとコミュニケーションする方法においても、変化が起きていることを目の当たりにしてきた。企業はまだ、スマートシステムが生み出すデータを金に換える方法を確立していない。しかし事業機会は非常に大きい。先見の明を持った企業家たちは、インテリジェントなハードウェアと解析ソフトウェア、そしてそれらの組み合わせによって生まれるサービスに対して巨額の投資を始めている」。
IDCは組み込みコンピュータ分野の市場調査を10年以上にわたって手掛けているが、同分野を継承する次の概念として「インテリジェントシステム」を取り上げるようになったのはごく最近だという。そして、スマートシステムが未来の方向性だと主張する市場調査会社はIDCだけではない。例えば、ニューヨークを拠点とするApplied Business Intelligenceも最近、「スマートシティ/スマートグリッド」の調査サービスを開始している。
現在のところ、スマートシステムについて最も深く理解しているのはIBMだろう。同社が「Smarter Planet」と呼んで展開する十指に余るシステムが、既に世界各地に導入されており、さまざまなインフラの問題を解決している。例えば、ストックホルムやスウェーデンのスマート輸送システムや、マルタ共和国が世界で始めて導入したスマートグリッド、ニューヨークのメトロポリタン美術館の絵画を守るスマートワイヤレスセンサーネットワークなどである。
IBMのフェローであり、CTO(最高技術責任者)とシステム部門の技術戦略バイスプレジデントを兼務するJai Menon氏は、次のように指摘する。「スマートシステムは、米国の全ての図書館が持つ情報の8倍に相当するデータを毎日生み出している。しかし、それらのデータのうち85%は構造化されていない。ビジネスインテリジェンス(BI:Business Intelligence)では、そうした構造化されていないデータから価値を引き出すことは難しいのが現状だ。Watsonは、構造化されていないデータに関する質問に、どうやったら非常に素早く応答できるかという課題に対する好例だ」。
IT(情報技術)分野におけるデータ解析では通常、対象となるデータは構造化されている。データベースのエキスパートが、きちんと整理されたデータ構造にデータを当てはめて、解析しやすいように準備する。そうしたデータであれば、簡単に検索したりソートしたり、一般的な計算式を使って解析したりすることが可能だ。
しかしIBMのWatsonは、全く整理されておらず、そして構造化されていないデータでも、精巧な解析エンジンの力で簡単に検索を実行できることを証明した(図2)。その解析エンジンは、構造化されていない特定の問題ドメインを解くために最適化された、特殊なシステムアーキテクチャで稼働するように設計されている。
IBM Researchのディスティングイッシュドエンジニアで、ビジネス解析のディレクターを務めるArun Hampapur氏は、「金融市場の解析は、日用品の価格を予測するなど、良く知られたパターンに基づく周期的な現象を対象にしている。それに対し、例えば水道管がどのくらい長くもつかといったインフラの不具合のリスクを予測することは、別の問題だ。われわれはそれを“構造化されていない問題”と呼んでいる」と話す。そして、「構造化されていない問題を解析するには、特定の問題ドメインに合わせて解析エンジンとアーキテクチャをカスタムで作り込むという戦略が最も効果的だ」(同氏)と指摘している。
IBMは、スマートシステムを使って構造化されていない問題ドメインを解く技術の実用化を推し進めている。具体的には、Watsonを応用し、ヘルスケアや銀行業、金融業、小売業、法規制/政府規制の分野に向けて、自動化されたアドバイザーを作り出す取り組みを始めた。「例えば、飛行機のフライトをもっと速く、うまく、簡単に予約できるように支援するといった応用がある。当社には、Watsonをそうした新しいアプリケーションに使いたいと考える業界のリーダーから、毎日のように電話がかかってくる」とHampapur氏は話す。
実際に、米国最大のヘルスケアのプロバイダーであるWellpointは最近、Watsonを応用したスマートシステムを導入すると発表した。患者の症状と、何百万もの医療記録や学会論文、最新の医学研究の結果などのデータをマッチングさせることで、医療診断の簡略化と迅速化を進める狙いだ。
Watsonは、もともとIBMがスマートシティのプロジェクトにおいて、構造化されていない問題を解くために生み出した技術に基づいている。IBMは従来からデータセンターの解析エンジンに強みがあり、それを応用してこのようなスマートシステムの研究に着手したわけだ。情報が駆け巡るネットワークの末端にある装置に組み込まれたプロセッサでも解析を実行可能にすることを目指して、着実に研究開発を進めている。
前出のMenon氏によると、シカゴ警察の監視カメラは、カメラの内部でスマート解析エンジンを稼働させており、発砲があった場合にそれに向けて自動的にカメラを回転させるという。「緊急通報の電話を受けるころには、既に発砲に使われた拳銃の口径が把握できており、カメラが発砲された場所を指し示している」(同氏)という。
IBMは、過去数年間で150億米ドルを超える金額を費やして、解析技術に特化した複数の企業を買収している。そして複数のセンサーからの入力を統合可能な、さらにスマートなシステムに向けて、新世代のコグニティブコンピュータ用チップを開発している。
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