予感は当たりました。赴任の話が全然進まないのです。
まず赴任日がなかなか確定しませんでした。たぶん契約や受入体制の手続きや処理が滞っていたのだと思うのですが、いったい、いつ頃出発できるのかもおぼつかない状況でした。
ようやく、出発日が決まったかと思ったら、今度は、社内の部署に依頼していたビザの発給手続きでゴタゴタしている。製品計画は既に線表に乗っているのに、出発させてもらえない――。これは、結構なストレスでした。その部署の担当者に電話をしても、なんだか他人ごとのようで、進捗状況がまったく把握できない。
「あの部署は、何やっていやがるんだ!」と悪態をついていたら、上司に叱られました。
上司:「いったい、君は、あの部署に何を期待しているのだ?」
江端:「何をって……そりゃ、海外赴任に関する手続きです」
上司:「渡航するのは君だろう? なぜ、他人を当てにするのだ?」
江端:「私に、ビザや渡航関係の手続きができるわけがないですよ」
上司:「困っているのは『君』だけだ。あの『部署』が困っているわけではない。自分自身でアメリカ大使館に乗り込んで、ビザを奪ってくるくらいのことはしろ」
当時の私には暴論のようにも思えましたが、実は、これが、海外赴任に赴く私への、上司からの「贈る言葉」であったことには、随分後になって気が付きました。
米国において「暗黙の了解という概念はない」「要求は、それが通るまで、何度でも行動で繰り返す必要がある」、つまり「『自分のこと』は全て『自分のこと』」という、海外生活の初歩の初歩が、その叱責の中には含まれていたと思うのです。
まあ、そんなこんなで、すったもんだしながら、会社の各事業部から選ばれた、7人の従業員(その内一人は、完璧な英語を駆使するリエゾンを兼務)と、その家族から構成される、チーム“Samurai”が、ようやくコロラドに結集するに至りました。2000年4月のことです。
海外赴任が、海外出張と決定的に異なる点があるとすれば、それは、自分の力で生活インフラを立ち上げなければならないことです。
赴任先にいけば、広いマンションが準備されており、水道、ガス、電話が既に利用可能となっている――というような話は「幻想」です(少なくとも、私の周りでは聞いたことがありません)。
コロラド州に到着した時の私の心象風景を、どのように表現したら良いでしょうか。
東西南北どちらを向いても地平線しか見えないコロラドの原野に、ポツンと独り取り残され、沈んでいく夕日をただ見守る……、というような、空前絶後の不安感。
赴任先の近くのモーテルに一時的に拠点を構えて、ここから、インフラを立ち上げるための、私のたった一人の闘いが始まります。
アパート、銀行口座、水道、電気、ガス、電話、携帯電話、インターネット、これらの契約とその交渉を、全部私一人で行うことになりました。その当時は1歳の長女を抱えていたので、嫁さんと長女は、インフラ立ち上げの後でコロラド入りすることになっていたからです。
これらの生活インフラの立ち上げは、どれもこれも、思い出したら涙なくしては語れない失敗と後悔の連続でありましたが、その中でも特に、今でも記憶にはっきり残っている壮絶な闘いは「銀行口座の開設」でした。
当然のことながら、銀行口座がなければ給料や各種の支払いが成立しません。
銀行に行く前の夜は、泊まっているモーテルで深夜に至るまで、口座開設のシミュレーションをさまざまなパターンで行いました。
「そんな質問される訳ない」と思えるような質問 ―― 例えば、中学生の時の得意科目とか、嫁さんへのプロポーズの言葉とか、我が国の平和憲法の意義と趣旨、に至るまで ―― 今となっては、「お前は阿呆か」と言われても仕方ない状況までも想定して、脳内でシミュレーションを実施していました。
それに、「仕事で使う英語ではない」ということは、技術英語の範囲を超えなければならないということでした。英語に対する私のプレッシャーは、この時、極限に達していたのです。
しかし、この一見「阿呆らしい」シミュレーションこそが、「360度、全方面向け英語」への転換の準備となり、後の生活に必要な英語のフレーズとして定着することになりました。
銀行で私の担当になった20代後半くらいの若いお姉さんは、本当に親切でした。
銀行口座におけるキャッシュフローを鉛筆で図示し、小切手の取り扱い方を実例で教えてくれて、Checking accountとSavings accoutの違いを説明してくれました。
しかし、その会話の中には、当然、私には未知の単語が山ほどありましたし、そして、今回ばかりは「分からないまま、放置する」ということが許されなかったので、私も徹底的に食い下がりました。
そして、常識的な対応をはるかに超えた時間の後に、ようやく口座開設に至りました。
お姉さんも私も、疲労の極限に達して放心状態となり、かすかに肩で息をしているのが見てとれました。
(ついに、やりましたね。日本から来られた「英語に不自由な」お客さん)
(ええ、やり遂げましたとも。こんな顧客に当たって「本当に運の悪い」銀行のお姉さん)
私たちはハグこそしなかったものの、熱い何かが構築されたことを確信しました。そして、私はこの銀行のお姉さんと、米国に赴任して最初の固い握手を交わしたのでした。
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