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シリコンバレーに押し寄せた新たなテクノロジーの波イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜(6)(1/2 ページ)

インターネットの登場以降、シリコンバレーではインターネット・バブルがしばらく続いた。多数のドット・コム企業が誕生し、ベンチャーキャピタルはこれらに膨大な資金を投入した。2001年、このバブルははじけ、投資は急激に低下するものの、2003年を底にシリコンバレーは息を吹き返し、それ以降、新たなテクノロジーの波が次々と訪れたのである。

» 2016年09月09日 11時30分 公開
[石井正純(AZCA)EE Times Japan]

「イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜」連載バックナンバー

シリコンバレーに注がれる資金の増加

 前回は、現在私たちが使用しているPCに近い形のPCが生まれ、インターネットが登場するまでをたどった。

 ここで勢いを増していったのは、ITやエレクトロニクス分野だけではない。

 1976年、“バイオベンチャーのパイオニア”ともいわれるジェネンテックが、シリコンバレーの一角、南サンフランシスコに創立された。ジェネンテックは1982年に、遺伝子組み換えインスリンを発売したことで有名である。こうしたバイオテクノロジー分野は、シリコンバレーで醸成されたIT・エレクトロニクス技術の基礎があってこそ、情報技術と融合されて、技術開発が加速していった。ここシリコンバレーでは、これまでに150社以上に上るバイオベンチャーが生まれている。

 1990年代の後半になると、これらの新興ベンチャー企業に資金を注ぐベンチャーキャピタルが増え、投資金額も急激に増加する。

 ところが、こうしたトレンドはバブルである以上、いつかは破綻する運命にある。

 多くのドット・コム企業(インターネットビジネスを手掛けるベンチャー)は、実際のキャッシュフローに基づいて事業計画を立てたというより、バブルの勢いに乗っただけだった。この時代は、高い株価で容易に資金を集めることができ、ベンチャーキャピタル側も、そういった“金の成る(はずの)木”に、惜しげもなく資金を投入した。ピークは2000年で、1年間に1050億米ドル(約10兆5000億円)が投資されている。

米国におけるベンチャーキャピタルの投資額の推移(クリックで拡大)

 ベンチャーキャピタルを含む投資家に対して、投資資金の流動化を実現し、自らもばく大な手数料を稼ぐことができる投資銀行や証券会社が“グル”になって、ちょっとしたアイデアで始まったドット・コム企業のIPO(新規上場)を大いに煽った感がある。なにせ当時は、企業名に「ドットコム」と入れるだけで、わずか1年でIPOができたのだ。

 だが2001年にこのインターネット・バブルははじけ、結果的に多くの新興ネット企業が経営破綻に追い込まれることになった。

 しかしその後、2003年を底にシリコンバレーは勢いを回復し、新しい波が押し寄せている。

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