意外にもあまり知られていないのだが、米国における最初の“ハイテク企業密集エリア”は、東海岸のボストン郊外である。1940年〜1960年代にかけて、ハイテク産業が発展したボストン郊外のエリアだったが、その繁栄を長く謳歌することはできなかった。なぜシリコンバレーは、ボストンを打ち負かすことになったのか。今回はその辺りを探ってみたい。
このシリコンバレーのパワーはどこから生まれるのだろうか。この秘密を探るため、シリコンバレーは現在どのような場所になっているのか、いくつかのデータで今日のシリコンバレーを見てみよう。
まず、この土地にはスタンフォード大学やカリフォルニア州立大学バークレー学校といった優秀な大学がいくつも存在する。米国の大学院トップ20校を見ると、そのうち半数に近い8校がカリフォルニア州にある。シリコンバレーの40%以上の人たちが大学卒以上(全米の平均は20%である)だ。さらに、SRI(Stanford Research Institute)インターナショナル、PARC(パロアルト・リサーチ・センター)、NASA(米航空宇宙局)の研究所NASA Aimes(ナサ・エイムス)など、幾つもの新しい技術を生み出してきた研究機関が存在する。インターネット・バブル崩壊後も、2002年までに何と2万3000社のベンチャーが起業したといわれている。
そして現在、シリコンバレーでは6600社以上のハイテク企業がしのぎを削っていて、これらの企業から出される特許の数は2003年時点で8800件以上、米国全体の10%に当たる。ベンチャーキャピタルの資金の40%はシリコンバレーに流れ、さらに集中化が進んでいる。シリコンバレーの主要都市の1つであるサンノゼの人口は2014年のデータでは100万人を超えており、全米第10位となっている。これは、全米第13位のサンフランシスコよりも上だ。
特筆に値するのは、2013年の統計によると、シリコンバレーの人口の約37%が外国生まれで、特に技術系の55%が外国生まれということだろう。そして、仕事場では英語を話すが、実に50%もの人たちが家に帰ると英語以外の言語を話しているのだ。
シリコンバレーが、いかに多様な文化的背景を持つ人たちで構成されているかが分かるだろう。
シリコンバレーがこれだけのパワーを発揮してこられた背景には、外国から来た優秀な技術者たちの貢献が大きいのだ。シリコンバレーにある巨大なハイテク企業の創設者(共同創設者を含む)たちの中には、外国生まれの人物もかなり多い。例えば、Yahoo!の共同創設者であるジェリー・ヤンは台湾出身、Googleの共同創設者セルゲイ・ブリンはロシア出身だ。Intelの3番目の社員で、1979年から20年にわたり社長やCEOを務めたアンディ・グローヴはハンガリーの出身。Tesla MotorsのCEOでもある起業家のイーロン・マスクは、南アフリカ共和国の生まれである。
シリコンバレーが、もともとは半導体ICの開発をベースに発展してきたのは事実であるが、半分冗談ながら、今ではその「IC」は、「“I”ndia(インド)と“C”hina(中国)」の技術者をベースに成り立っているのだ、と言う人もいるほどだ。近年は移民(イミグラント)が多いことから、「イミグラント・バレー」と呼んでもいいのではないかと筆者は思う。そして、このように“外国から来た「移住一世」の人々でも、よいアイデアを持って起業し、頑張れば大成功も夢ではない”という環境を提供しているのが、シリコンバレーの特質ということができる。
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