研究不正の疑惑は、近代科学だけでなく、さらに時代をさかのぼった古代にも存在する。「数学集成(アルマゲスト)」をまとめ上げた、古代ローマ帝国の天文学者クラウディウス・プトレマイオスには、データを捏造したのではないかという疑惑がある。その“ダークサイド”を解説しよう。
本シリーズの前回では、古典力学の「父」アイザック・ニュートンの研究不正疑惑についてご紹介した。アイザック・ニュートンは紛れもなく近代科学の巨人であり、現代では常識とされる「仮説を立てて実験(あるいは観測、測定)によって検証する」科学研究によって比類なき業績を挙げた1人である。
この「仮説検証型」の学問は、アイザック・ニュートンの時代、すなわち17世紀に始まった訳ではない。ずっとはるかな昔、紀元前4世紀ころにまでその起源をさかのぼることができる。それは古代ギリシアや古代ローマなどで発達した天文学である。
「天文学は古代におけるほとんど唯一の仮説検証型の数学的科学であった。すなわち、そのための特別の装置を用いたそれなりに精密な観測、当時としては望みうるかぎりの厳密な数学的推論、そして定量的な予測とその検証、という近代科学の操作に類比の一連の仮定をふまえた自然理論であった」(山本義隆、『世界の見方の転換』、第1巻、3ページ、2014年刊行)
その意味ではこじつけになるが、古代の天文学者は、近代科学の創始者だと言えなくもない。そして最も偉大な業績をあげた天文学者が、古代ローマ帝国の天文学者クラウディウス・プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus、英語表記ではPtolemy、83年頃生〜168年頃没)である。
プトレマイオスは、古代バビロニアの天文学から始まり、古代ギリシアの天文学に多大な貢献をなしたアリストテレス(Aristotéles、紀元前384年生〜紀元前322年没)やヒッパルコス(Hipparchus、紀元前190年頃生〜紀元前120年頃没)などの業績を継承し、独自の天文観測に基づく数学的検証を加えた著作「数学集成(別名:アルマゲスト)」を2世紀半ばにまとめ上げた。
「数学集成(アルマゲスト)」は13巻から成る天文学の大著である。天動説(地球が宇宙の中心で静止しており、太陽や惑星、月などはその周囲を回っているという説)に基づき、太陽や月、惑星などの天体の運動(地球から見た運動)を数学(幾何学)を用いて精緻に記述しており、天体の運動をかなりの精度で定量的に予測可能にした。
ここで留意しておきたいのは、プトレマイオスの宇宙論は、古代ギリシアの偉大な哲学者であるアリストテレスの宇宙論と、過去においてしばしば、同種のものであるという誤った扱いを受けてきたことだ。
例えばイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイ(1564年生〜1642年没)は地動説(太陽を中心として地球を含めた惑星が太陽の周囲を回っているという説)の擁護論『天文対話』(1632年刊行)で、「アリストテレスおよびプトレマイオスの立場」という表現で両者をひとくくりにしていた。また20世紀においても米国の物理学者トーマス・クーン(Thomas S. Khun、1922年生〜1996年没)が著した『コペルニクス革命(原題:The Copernican Revolution)』(1957年刊行)で、「アリストテレス-プトレマイオスの宇宙」と記されている(参考:山本、『世界の見方の転換』、第1巻、4ページ)。
アリストテレスの宇宙論は、あらゆる物事の原理や原因などの探求を目的とする自然学を基盤とする(自然学的宇宙論)。理論的考察によって不変の法則性を見いだすことに価値を置いている。一方で天体の観測は重視せず、天体の運動を予測することも重視していない。この結果、アリストテレスの宇宙論は、天体の運動を定量的に予測することにはまったく適さないものとなっている。
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