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変わり始めた日本のベンチャー、グローバル展開は射程にイノベーションは日本を救うのか(29)(1/2 ページ)

1980〜1990年代の日本では、“ベンチャー企業”とは、町の発明家に毛の生えた程度のもので、本格的なビジネス展開は難しいというのが実情だった。だがそれから数十年を経て、日本のベンチャー企業は変わりつつある。

» 2018年08月21日 13時30分 公開
[石井正純(AZCA)EE Times Japan]

「イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜」バックナンバー

 筆者が、AZCAを創業してことし(2018年)で33年になる。この間、AZCAが主な事業として尽力してきたことは一貫している。「日本と北米の間をつなぐこと」だ。

 より具体的には、「日本の大企業が米国に進出する際の戦略コンサルティング」「日本の大企業が米国のエコシステムを活用し、米国のハイテク企業と提携して新規事業を開拓する際の戦略コンサルティング」、そして「北米のベンチャー企業による日本進出の支援」である。

 実は、AZCAは日本のベンチャーについては、ほとんど手を付けてこなかった。筆者は、ベンチャーキャピタル活動の一環として、1987年から、当時東京にあったPacific Technology Venturesというベンチャーキャピタル会社の役員を務めた。このころ日本は、第2次ベンチャーブームでさまざまなベンチャー企業が生まれた。そして、いくつものベンチャー企業が、資金を調達したいとPacific Technology Venturesを訪ねてきた。

 だが、これらのベンチャー企業は軒並み、ビジネスに関してのプロとしての知識がなく、筆者がビジネスプランの提出を求めると、「ビジネスプラン? ビジネスプランとは何ですか」という答えが返ってくる状況だった。当時は、日本のベンチャーエコシステムは非常に未熟であり、ベンチャー企業とはうたっているものの、その実態は“町の発明家”のようなものだった。筆者の目から見ると、世界に通用する技術を持つベンチャー企業は、少なかったのである。

風向きが変わってきた

写真はイメージです

 それが少しずつ変わってきたと感じるようになったのは、今から7〜8年前、2010年ごろだろうか。ちょうど日本の経済がようやく長いトンネルから抜け出し、さまざまなことに積極的に取り組む時代になってきたころだった。

 この時期、ベンチャー企業を支援したり、新産業の創生や育成を後押ししたりする組織が、いくつも誕生した。

 2009年7月には、産業や組織の枠を超えた“オープンイノベーション”を活用し、次世代の産業を創生し、育成することを目的とした産業革新機構が設立されている。だが、設立当初の産業革新機構はグローバルな視点が欠けていた。設立前のプレゼン資料には「アジア」という言葉がわずかに入っているだけで、ほとんどは日本国内だけでどうにかしようという、閉じた動きだったのである。新しい産業を創生し、育成していくならば、シリコンバレーを含め、グローバルな視点は必須である。筆者は、産業革新機構のトップと何度も議論し、その説得に努めた。

 その後、2012年以降は、産業革新機構も、日本人起業家がシリコンバレーに設立した、ワイヤレスキーボードを手掛けるMiseluという会社に累計16億円を上限として投資を決めるなど、シリコンバレーとのネットワークを強化するに至っている。

 2011年初頭には、米国務省と、日本の経済産業省の元、U.S.-Japan Innovation and Entrepreneurship Council(日米起業協会)が発足。委員会は日米それぞれ10人、計20人で構成されている。各国の10人のうち、5人は官、5人は民という規定になっていて、筆者は日本側の“民”のメンバーとなっている。

 さらにJETRO(日本貿易振興機構)も、専門家による個別事業支援サービスを開始した。AZCAも、JETROに依頼されて2011年から2年ほどサポートした。

 こうした組織やプログラムが設立されていく中で、「日本のベンチャー企業も、シリコンバレーのエコシステムの中で育てばいいのではないか」という機運が高まってきたのだ。

 実は、JETROは以前にも同様の取り組みを行ったことがあった。だが、その時は、なかなかうまくいかなかった。日本のベンチャー企業の質が、米国に進出するには低過ぎたからである。

 筆者は、「素質のある会社でなければうまくいかない」ということをJETROに伝え、こちら側から選んだり、勧誘したりすることを提言した。実際に、100社近くについて書類審査を行い、オフィスを訪れてインタビューを行い、“素質”があるかどうかをきちんと調査した。正直に言うのであれば、1985〜1987年くらいは、やはり素質の面では首をかしげざるを得ないケースも多かった。

 この技術であれば、世界で戦えるのではないか――。そう思えるベンチャー企業が出てきたのは、そこから20年ほどたった後である。

 現在は、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)も、ベンチャー支援事業を継続的に行っている。「シード期の研究開発型ベンチャー(STS)に対する事業化支援」などのプロジェクトがそれに当たる。EE Times Japanで取り上げた、磁気センサーを開発するマグネデザインも、このようなプロジェクトで助成金を受けた企業の一つだ(関連記事:「磁気センサーの“異端児”がウェアラブルを変える」)。ちなみにAZCAは、NEDOに認定されているベンチャーキャピタルとして、この種のプロジェクトに参画している。

 特に大学発ベンチャーの育成と支援に力を入れているのが文部科学省(文科省)だ。文科省は、新しい技術やビジネスモデルを生み出す原動力として、大学発ベンチャーに期待を寄せており、より起業しやすい環境づくりを行うための施策を打っている。

 その一つに、大学発ベンチャーと、事業化ノウハウを持つ人材や組織(事業プロモーター)を組み合わせて、事業化を促進する「大学発新産業創出プログラム」がある。もともとは文科省で発足したものだが、現在は、科学技術振興機構(JST)に移管されている。これまでに、東京大学エッジキャピタル、ウエルインベストメント、ジャフコ(JAFCO)、DBJキャピタルなどをはじめ、12社ほどのベンチャーキャピタルが事業プロモーターを担っている。

 こうしたさまざまなところで、日本のベンチャーを見直す機会があるが、筆者としては、「世界で十分戦えるベンチャーが出てきている」という認識を新たにした。とはいえ、経営はまだ未熟な点も多い。だが、筋のいい技術がある。そこでAZCAは、そのようなベンチャー企業を米国に招き、支援する活動に取り組んでいる。シリコンバレーにあるAZCAのオフィスの一角を貸し出し、そうしたベンチャーをインキュベートしているのだ。

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