さて、今回は、この問題の中でも、特に量子コンピュータ特有の「冷却問題」に着目してみたいと思います。
前回お話した通り、量子コンピュータの量子ビットのデバイスは、常温に置いておくと「猫カフェ」状態(量子の励起が発生して、”0猫”、”1猫”以外にも、"2猫"、"3猫"、"4猫"……と、無限匹のネコが無秩序に登場してくる状態)になります。
以後、"0猫"、"1猫"を「飼い猫」、"2猫"、"3猫"、"4猫"……を「野良猫」と呼ばせて頂きます(この呼び方を着想されたのは、メールで資料を送って頂いた読者の佐藤大輔様です)。
これを回避するためには、量子ビットのデバイスを超低温(絶対零度ギリギリ)に配置しなければなりませんが、これがとても難しいのです。
[Tさんツッコミ!]半導体量子ドット方式や、超伝導を用いる方式では必要ですが、イオントラップなどの原子を直接量子ビットとして使う方式では、レーザー冷却という方式で(レーザーを使って)冷却を行います。
−270℃(絶対零度+3℃)くらいまでは、冷蔵庫とクーラーの原理を使えます。この原理とは、インフルエンザの予防接種をする時に、アルコールを皮膚に塗った時に感じる、あの冷たさと同じです。簡単に言うと、皮膚から蒸発したアルコールを、高圧で圧縮して液体に戻して、放熱した後、使い回すというものです。
しかし、絶対零度とは、全ての物質が停止してしまう、完全な熱量死の世界です。この世界では、触媒(上記の例での、アルコール)すら動かなくなってしまいます。つまり絶対零度に近づくほど、絶対零度を作れなくなるという矛盾が発生するのです。しかし、これではまだ量子デバイスの「野良猫」の登場を抑える温度には足りないのです。
有名な方法として、3He-4Heの混合液体方式というものがあります。この方法を理解するのに相当骨が折れましたが、どこの誰が見つけ出したのかは不明ですが、本当にすごい方法です。
絶対零度に近づくと、この混合液体は、3Heの層と4Heの2つの層に分離します。さらに、分離したところから、3Heを蒸発させて抜き出すのです。
この3Heは、限りなく絶対零度に近い状態にあっても、まだ動かすことができます(超流動)ので、先ほど説明した、アルコールのように熱を抜き取っては、外部に吐き出す触媒として使い回せば良いのです。これによって、0.05K(絶対零度+0.05℃)までの冷却が可能となります。
しかし、これが容易ならざる技術であることも、ご理解頂けると思います。人間が入っていけるデータセンタの温度とは格が違いますし、少なくとも江端家に設置できるようなものではないことは明らかです*)。
*)一応、ヘリウムの値段や入手ルートについても調べてみました。
ところで、この量子コンピュータの冷却問題を調べている途中で、ちょっと驚くような話を見つけてしまいました。なんと、「常温で動く量子コンピュータ」というものです。今回は、この話は割愛しますが、興味のある人は、”QNN”で調べてみください。
[Tさんツッコミ!]ImPACT(革新的研究開発推進プログラム)プロジェクトのQNNを、室温量子コンピュータ(の代表)のように扱うのは大きな誤解となりますので、注意してください。光を使う方式や上記イオントラップも含めたレーザー冷却(レーザー光を用いて、気体分子の温度を絶対零度近くまで冷却する方法)を使う方式は、基本的に冷却器(希釈冷凍機)は必要ありません。これらの方式も、各大学、研究機関で活発に研究されています。つまり、室温の方式はたくさんあります(→(江端)この方法につきましては、次回詳細に説明致します)。
私、量子コンピュータは「とにかく冷やすもの」と思っていましたので、かなり認識が違っていたなぁ、と思いつつ、「そういえば、量子コンピュータの定義って、まだちゃんと調べたことなかったなぁ」と気が付きました。私は「量子コンピュータとは、量子的な振る舞い(×量子そのもの)を使うもの」くらいのイメージしか持っていませんでした。
調べてみると「定義」ではないのですが、「要請」という形で、以下のような考え方があり、これが現時点では主流になっているようです(以下、江端風に言い回しを変えています)。
次回以降にお話しますが、量子コンピュータとは、現在の皆さんが使っているようなパソコンとは全く別ものです。計算は1回限りの一発勝負で、その計算時間は、1万分の1秒以内に完了させなければなりません。
いろいろな方面から批判されそうですが、現状の量子コンピュータは「使い捨てコンピュータ」 ―― とまでは言わないまでも、「打ち上げ花火コンピュータ」であることは事実です。要するに、打ち上げるまでの準備(冷却、量子の初期化、その他)が大変で、量子的振る舞いを計算可能な状態に維持し続けることが、めちゃくちゃに難しいからです。これをコヒーレンス時間と言います*)。
*)このコヒーレンス時間を、2023年に10倍(1ミリ秒)にする目標を掲げて研究開発をしている会社があります。
このように考えていくと、量子コンピュータと現状のコンピュータ(古典コンピュータ)を同じ土俵で比較検討することには、あまり意味がないのかもしれません。
[Tさんツッコミ!]「打ち上げ花火コンピュータ」は、量子コンピュータの本質ではありません。現在のエラー訂正のない量子コンピュータ(NISQなどと呼ばれる)がそうなっているだけです。現状は実装困難ですが、将来的には量子エラー訂正が実装され、これが実行されれば、コヒーレンス時間は半永久的に続くものとなります。多くの研究者がそれを目指しています。
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