今回は、NORフラッシュの用途拡大が地道に進んだ1992年〜1993年を紹介する。PCでは、BIOSの格納用メモリにNORフラッシュを採用する動きが始まった。
フラッシュメモリに関する世界最大のイベント「フラッシュメモリサミット(FMS:Flash Memory Summit)」の会場では最近、「Flash Memory Timeline」の名称でフラッシュメモリと不揮発性メモリの歴史年表を壁にパネルとして掲げるようになっていた。現在は、FMSの公式サイトからPDF形式の年表をダウンロードできる(ダウンロードサイト)。
この年表は1952年〜2020年までの、フラッシュメモリと不揮発性メモリに関する主な出来事を記述していた。とても参考になるので、その概略をシリーズで説明する。原文の年表は全て英文なので、これを和文に翻訳するとともに、参考となりそうな情報を追加した。また年表の全ての出来事を網羅しているわけではないので、ご了承されたい。なお文中の人物名は敬称略、所属や役職などは当時のものである。
前回は、1989年〜1991年の主な出来事を説明した。紫外線消去型EPROM(UV-EPROM)の置き換えによってNORフラッシュメモリの市場が急速に伸びたことを主に述べた。今回は1992年〜1993年の主な出来事をご紹介する。
1991年まで、NORフラッシュメモリの市場はインテルによる寡占状態だった。東芝もNORフラッシュを製品化していたものの、残念なことにDRAM事業の優先順位が高く、NORフラッシュの事業化には積極的とは言い難い状況が続いた。このため、インテルだけがNORフラッシュの新製品(大容量品)を積極的に開発する状況が発生し、NORフラッシュの市場をほぼ独占することになった。
1992年になってようやく、NORフラッシュの本格的な競合ベンダーが現れた。AMDと富士通である。特にAMDは積極的で、1990年代半ばのNORフラッシュ市場はインテルとAMDによって大半を占めるようになった。
一方でインテルは恐ろしい速さで大容量化を進めた。同じ1992年にインテルは記憶容量が8MビットのNORフラッシュを発表する。1987年にサンプルを出荷した256Kビット品から、5年間で、記憶容量は32倍に急増した。年率で2倍を超える、ものすごいペースで記憶容量を拡大させたことになる。
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