スピーカの役割とは何か。それは、入力したオーディオ信号を、忠実に空気の圧力波として空間に放射させる変換装置『トランスデューサ』である
「スピーカの役割とは何か。それは、入力したオーディオ信号を、忠実に空気の圧力波として空間に放射させる変換装置『トランスデューサ』である。しかし、スピーカの長年の研究・開発の歴史の中で、いつしかそれが忘れられ、音を良くしようと味付けしてしまっている。それならば、本来の役割をきちんと実現するスピーカを作り上げよう」(京都大学工学研究科都市環境工学専攻で准教授を務める伊勢史郎氏)。
京都大学と、京都大学発のベンチャー企業であるアクティモ、東芝は共同で、入力したオーディオ波形に忠実な音響波を空間に放射させることに主眼を置いたスピーカ技術を新たに開発した。富士通テンも同様の開発指針に基づいたスピーカ「ECLIPSE TDシリーズ」を2001年から製品化しており、これまでの課題の解決を図ったとする新製品を2009年2月に発売した。実現手法はそれぞれ異なるものの、オーディオ信号に余計な味付けをすることなく音響信号として空間に放射させるという開発指針は同じである。オーディオ・コンテンツを忠実に聞かせることができるとアピールする。
これまでの一般的なスピーカでは、「スピーカの筐体部分や支持部分の剛性不足などが原因で、オーディオ・コンテンツのオーディオ成分(「原音」と呼ぶ)以外の不要な音が発生してしまっていた」(同氏)。また、「スピーカ筐体での共振を積極的に利用するなどして、スピーカ開発者が考える良い音や迫力のある音を作り上げようと、再生する音が味付けられていた。この結果、オーディオ・コンテンツそのものの音に、スピーカの影響による『固有音』が足し合わされていた」(富士通テンのCI・アフターマーケット本部 国内ECLIPSE営業部のエキスパートである小脇宏氏)という。
入力波形に忠実な音響信号を再生するための基本的な方針は、「インパルス信号」をスピーカに入力した際に、このインパルス信号を忠実に空間に放射できるようにすることである。インパルス信号とは、理想的には振幅が無限大でパルス幅が無限小のパルス信号である。つまり、すべての周波数成分を含んでいる。この信号を忠実に再生できることは、原音を正確に再生できることを意味する。
ただし一般に、通常のスピーカ1台でインパルス信号を再生すると、原音以外の成分(「残留音」と呼ぶ)が載ってしまう。この残留音を打ち消すために、京都大学とアクティモ、東芝では、メイン・スピーカに補助スピーカを組み合わせた。補助スピーカで残留音と逆位相の音を発生させる。デジタル信号処理技術を利用することで実現した。開発したスピーカ・システムは、デジタル・フィルタの1種であるFIR(Finite Impulse Response)フィルタと遅延回路を組み合わせた制御回路と、A級アンプ、メイン・スピーカ、補助スピーカで構成する(図1)。入力したオーディオ信号を、FIRフィルタで処理した後に補助スピーカで再生する経路と、遅延回路を介した後にメイン・スピーカで再生する2つの信号系統がある。遅延回路で、2つのスピーカから再生する音のタイミングを合わせる。
このスピーカ・システムで、メイン・スピーカの残留音と逆位相の信号を生成する役割を担うのがFIRフィルタである。具体的には、あらかじめメイン・スピーカにインパルス信号を模したTSP(Time Stretched Pulse)信号を入力して、空間に放射される音響信号をスピーカから1m程度離して置いたマイクで測定する。この測定結果がインパルス信号からどの程度ずれているかという情報(残留音の成分に相当)を基に、補助スピーカから再生すべき信号を演算し、FIRフィルタの特性(係数)を設定しておく。
メイン・スピーカと補助スピーカそれぞれが空間に放射した音を足し合わせると、少なくともマイクで測定した地点では、ほぼインパルス信号に忠実な音響信号を再生できる仕組みである。「メイン・スピーカで発生した残留音のほとんどが抑制可能であることを基礎実験で確認した」(京都大学の伊勢氏)。
ただし、このような残響音の抑制効果は常に得られるわけではない。メイン・スピーカの出力音圧が高まると、入力と出力の関係が非線形になり、抑制効果が劣化する。スピーカに正対した位置から左側または右側に移動したときも抑制効果が弱まる。
同氏は、「利用シーンに応じて、スピーカ・タイプの選択や配置を最適化することで、実用上問題ない残留音の抑制効果が得られる」と説明する。今後アクティモが、この仕組みを採用したスピーカ・システムの製品化を進めるほか、東芝も自社製品へ組み込むことを視野に入れた研究・開発を進める。
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