“最も身近な精密機器”と言っても過言ではない電卓。あまり一般には知られていないが、電卓は、PCの誕生や日本の半導体産業の発展を語る上で欠かせない存在だ。3月20日の「電卓の日」に、奥深い電卓の世界をのぞいてみたい。
3月20日が「電卓の日*)」だということを、皆さんはご存じだろうか。
一家に1台、あるいは1人1台持っていて、“最も身近な精密機器”と言っても過言ではないほど普及している。にもかかわらず、普段は電卓の存在をそれほど意識することはないかもしれない。
だが、電卓はプロセッサ開発のきっかけとなり、やがてはコンピュータ誕生へとつながっていく、重要な発明品なのである。さらに、それまで、ミサイルやロケットなど軍事/航空宇宙分野に限られていたICの用途が拡大するきっかけにもなった。電卓用ICの需要が増加したことで、民生機器でのIC応用の道が一気に開けたのだ。
*)制定したのは日本事務機械工業会(現:一般社団法人 ビジネス機械・情報システム産業協会)で、1974年のこの日に、日本の生産数量が年間1000万台を突破したことなどに由来する(参考資料)。
日本の半導体産業の発展を語る上でも、電卓の存在は欠かせない。世界初の電卓は、イギリスのBell Punchが1962年に発売した「Anita Mark 8」だといわれている。国内では、シャープが1964年に発売したのを皮切りに、カシオ、ソニー、東芝などが続いた。国産の電卓が次々と発売された1960年代の前半、日本のIC需要は、60%以上を電卓が占めていたのである。
先述したように、プロセッサが電卓開発の過程で生まれたことも忘れてはならない。ビジコン(旧日本計算器販売)が、電卓向け汎用ICの製作をIntelに依頼したことがきっかけとなり、1971年に世界初の4ビットプロセッサ「4004」が誕生した。設計を担当したのは、ビジコンの嶋正利氏である。同氏はその後、4004の後継となる8ビットプロセッサ「8008」も開発し、PC誕生の基礎を築いた。
もし電卓が日本ではなくアメリカで生まれていたら、アメリカは半導体技術で圧倒的に他国を引き離し、日本がアメリカを追い上げることもなかっただろうといわれている。電卓は、いわば、日本の半導体産業の立役者なのだ。
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