これから10年先の半導体業界はどうなっているのだろうか――。過去10年に起こった半導体業界の変化を、スマートフォンやテレビといったキラーアプリケーションの解剖を通じて探りながら、次の10年のトレンドを連載で探っていく。第1回は、日本の半導体メーカーが世界市場でどのように地位を失っていったのか、その過程を見ていく。
「この10年で起こったこと、次の10年で起こること」と題して12回(予定)にわたって連載を行う。連載を通じて、過去10年間のスマートフォンやテレビ市場で一体何が起きたのかを半導体の目線から事例を示しながら解説していきたい。
第1回は、“なぜ日本の半導体メーカーが世界市場の中でポジションを失ったか”をチップセットやチップ設計の観点などから多角的に実例を示していく。
図1は今からちょうど10年前の2005年に日本で発売された携帯電話機2機種とその基板(PCB)、主なファンクションチップである。当時は各端末メーカーが自前のチップを作っていた時期である。プラットフォームとかターンキーという言葉もなく、各社は筐体からチップ、ソフト、アプリケーションまでほぼ全てを自前化するのが当たり前であった。
富士通の端末には、富士通製のチップが並び、パナソニックもしかり、NECもしかりであった。
こうした状況は海外の端末メーカーでも似たようなものだった。
Motorolaの端末にはTexas Instrumentsとともに、Motorola から分社独立したFreescale Semiconductorのチップが並び、Philipsの端末や仏Alcatelの端末には、Philips から独立したNXP Semiconductorsのチップが使われていた。Nokiaでも自前のNokiaカスタムチップが多く使われた。
2005年は、その背後でGoogleがAndroid社を買収した年でもあった。Android社は上記のような各社各様な端末とチップセット、OS、ソフトウェアの状況を見越して「OSのプラットフォーム化」を目指して2003年に設立された会社である。
2007年にはGoogleとQualcomm、T-MobileがAndroidの開発を推進する団体「Open Handset Alliance」(OHA)を設立し、翌2008年には世界初のAndroidスマートフォン「Dream G1」(台湾HTC製)がT-Mobileから発売されている。CDMAという通信方式を開発し、多くの3G(第3世代移動通信)でライセンスビジネスを開花させたQualcommは、2000年代半ばまでは、あくまでも1チップベンダーに過ぎなかった。
しかし、上記のようにAndroid陣営/OHAの主要メンバーの1社となることで、その後のAndroid系端末にプラットフォーマーとして数多く採用されていくことになっていく。特にスマートフォン・ブームに敏感に反応した多くの中国や台湾のメーカーは、率先してQualcommチップセットを採用した。現在はQualcommと双璧を成すスマートフォン向けチップセットベンダーになった台湾MediaTekは、2008〜09年時点では完全に出遅れており、Android対応のチップセット供給に手間取っている状況であった。
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