今回は、等倍一括露光から縮小分割露光への転換の歴史を紹介する。縮小分割露光は、光露光技術の画期的なブレークスルーであった。そしてこの技術は、ニコンが半導体露光装置メーカーの大手へと成長するきっかけにもなった。
半導体製造装置と半導体製造用材料に関する北米最大の展示会「SEMICON West 2016」が7月12日〜14日に米国カリフォルニア州サンフランシスコのモスコーンセンター(Moscone Center)で開催された。12日には「FORUM」(フォーラム)と称する併設の講演会があり、専門テーマに関する解説や展望などを数多くの研究者や技術者、経営者などが発表した。
前回は、ニコンの米国子会社であるNikon Research Corporation of AmericaでDirector of Computational LithographyをつとめるStephen Renwick氏の講演を補完する目的で、露光技術の進化を1960年代から1970年代末まで振り返った。
前回の末尾部分で説明したように、1970年代の後半に入ると、リソグラフィ開発のコミュニティーでは光露光の限界が議論されるとともに、代替技術の開発が活発になる。当時の議論(光露光技術はプロジェクションアライナー(投影露光装置))では、光露光技術の解像限界は2μm〜1.5μmとされていた。
解像度を高める手法として考えられたのが、光源の波長を短くすることである。当時の主力光源である水銀灯の波長は短くても365nm。これを一気に数十分の1以下に短くする。候補技術は2つ。1つはX線露光(波長1nm)、もう1つは電子ビーム露光(ビーム経で10nm前後)で、数多くの大手半導体メーカーや半導体研究機関が技術開発に取り組んだ。
しかし光露光技術の画期的なブレークスルーにより、これらの技術開発はいったん、下火になる。光露光技術の画期的なブレークスルーとは、等倍一括投影露光方式から、縮小分割投影露光方式への転換である。
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