では、ここからは、自分の生命(×日常生活のQoL(Quaily of Life))を維持するために必要となる活動を自力で行えなくなった状態を「寝たきり」と言うこととして、上記の内容を纏めると、以下の4点に集約できると考えます。
上記の私の仮説、「高齢者介護という概念は、1945年より前には、存在しなかった」について、もう一つ、平均寿命の観点からアプローチしてみたいと思います。
ここで再度、死亡率のグラフを登場させます。先ほど、「平均寿命に相当する年代の死亡率が、"ざっくり7%程度"となることが分かりました」と記載しましたが、ここから、縄文時代と江戸時代の平均寿命を使って、それぞれの時代の年齢別死亡率を推算してみました。
まず、現代が、ウイルス性の致死性の高い病気が、(おおむね)克服された状況にあると考えると、現代の死亡率のグラフの原型は、別の時代で使っても問題はないと考えました(どの時代でも、高齢者は若者よりも死亡率が高い)。とすれば、死亡率"7%"の年齢が、おおむね平均寿命になる、としても差し支えないと考えました。
わが国には「七つまでは神のうち」という言葉があります。第一次世界大戦前の1910年の段階であっても、実際のところ子どもの10人のうち3人は、7歳までに死亡していました。
ちなみに、七五三(ひちごさん)は、「人間は7歳までは神様である」と考えた神事であり、また、そこまで、我が子が「7歳まで生き延びた」ことを祝う祭でもあります。
この数値から、7歳まで子どもが生き伸びる確率を逆算したものを加えて、さらに、出生後(0歳)の死亡率の高さを加味しました(現代でも、0歳児の死亡率は、1歳児の約7倍)
さらに、江戸時代の、女性の平均出産回数が6.8回と多産であった事実と、出産時に母が死んでしまう確率(1回の出産で、10%が死亡するといわれており、出産は文字通り命懸けであった)も数字に加えました。
ここから、江戸時代より前では、女性は10歳を超えれば結婚し、その後、何度も出産し続けなければならなかったことが推測されます。1人の女性が7人弱の子どもを産んでいたことは、(1)子どもが労働力であったこと、(2)子どもの死亡率が極めて高かったことが、その理由になると思います。
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