実は今回、ここまでが前置きで、ここからが本論です。
「働き方改革実行計画」では、「介護についても、介護支援の充実を図り、介護をしながら仕事を続けることができる「介護離職ゼロ」に向け、現役世代の安心を確保することが重要であり、総合的に取組を進めて行く」との方針が打ち出されています(p.22)。
その具体的施策としては、「介護職員の待遇改善(と言っても賃金の話)」と、「男性の介護等への参加促進」が記載されています。
この記載の裏を読むと、まず民間側の本音には、
という事実があり、
があることが見えてきます。
それに対して行政側の本音としては、
があることが分かります。
つまり、「働き方を改革して時間を作り出せ。そして、その時間と労力を、介護サービス市場の不足分のリソースとして突っ込め」と言っているわけです。そして、その呼び掛けは、全世代に及んでいます。
実際、今回、厚生労働白書(概要版はこちら)を読んでいて、どうにもよく分からないフレーズが出てきて、この解釈ができずに困っていたのですが、今ならよく分かります。
働き方改革は、言うまでもありませんが、私たちをラクにさせようとしているのではありません。1分、1秒も無駄にさせない、さらに厳しくてつらい働き方を、国民に要求しているのです ―― しかし、このことに気がついている人は、意外に少ないような気がします。
特に介護分野に関しては、今後も、GDPを増加させる素晴らしい装置(要介護人)がますます増えていくことが分かっていても、その市場に対応するリソース(介護人)が足りず、国民のQoL(Quality of Life)が劣化していくことは目に見えています。
「家庭は憩いの場所」なんぞでなはなくなり、「家庭は、社会インフラサービスの供給(×需要)拠点」というパラダイムに変更しなければ、実際のところ、―― 国家がどうなろうが私の知ったことではありませんが ―― 「私(江端)」の未来(幸せな老後)が見えてこないのです。
まあ、国家的陰謀で、国民の死亡率を、ほとんど分からない程度ほんのちょっとだけ上げるという手もないわけではありませんけど(医療サービスの意図的なサボタージュとか、一定の確率でダミーの医薬を混入させるとか)、まあ、本当にそんなことをやったら、その国家は、本当の意味で“The end”となるでしょう。
それでは、今回のコラムの内容をまとめてみたいと思います。
【1】政府主導の「働き方改革」の重要項目の1つである「子育て、介護、障害者就労」から、「介護」の“市場規模”、“経済効果”、“介護サービス市場特有の問題点”について検討を行いました。
【2】2018年7月の父の死亡後に、父を支えてきたいろいろな介護サービスが一気に消滅したことに気付いたことがきっかけで、その金額を計算した結果、要介護人は介護サービスを生み出し、わが国のGDPに貢献する「装置」となっていることに気が付きました。
【3】わが国の公的な介護サービスの財源が税収と介護保険であること、その比率がおおむね半々であることと、現時点の介護サービスの市場規模がおおむね10兆円程度であることを説明しました。
【4】介護費用が年齢に応じて線形に増加していくことと、実際に多額の介護費用が発生する年齢が、平均寿命とほぼ同じ時期であることを、シミュレーションによって明らかにしました。これより、「介護サービスの費用と、残された人生の時間には負の相関がある」という仮説を立てました。
【5】高齢者の死亡率をわずかに悪化させるだけで、(平均寿命にはそれほど影響は出ないものの)介護費用が激減するという事実と、逆に、わずかに改善させるだけで、介護費用が指数関数的に増大していくことをシミュレーションで確認しました。
【6】最も楽観的な条件でも、今後も介護職員や訪問介護員(ヘルパー)の負荷は増大し続けるという結果をシミュレーションで確認しました。
【7】つまるところ、介護における、政府主導の働き方改革の狙いは、「生産性の上がらん企業の仕事の時間を削っても構わんので、家庭における介護業務に時間をつぎ込め」、そして「リソースがそろわない介護サービス市場の一部を担当しろ」と国民に命じている、という、江端解釈の説明を行いました。
以上です。
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