後輩:「江端さん、今回、構成が雑ですよ。『要介護者は、GDPの生産装置である』という内容と、『死亡率の操作によって介護費用が変動する』という内容は、完全に別の話でしょう?」
江端:「『介護コスト』くくりで、ギリギリセーフにならないかな?」
後輩:「違和感を覚えます。何かありましたか?」
江端:「年齢別介護費用の分布図を書き終えた時、突然、『死亡率を変化させたらどうなるんだろう?』と思い付いて……」
後輩:「で、暴走してしまった、と」
江端:「で、でもさ。介護コストの性質(平均寿命に対する高い感度)とかも分かったし、そんなに筋は悪くもないと思うんだ……けど」
後輩:「それと江端さん、あなた、自分の知識に偏食があることに気がついていないでしょう?」
江端:「……知識に偏食?」
後輩:「普通の人間は、『ユダヤ人問題の最終的解決』なんてフレーズ、使うことも聞くこともありません」
江端:「え? そうなの? ホントに?」
後輩:「もうちょっと、世の中をちゃんと調べて執筆していただきたいですよ。曲がりなりにも世間様に文章を読んでいただく身の上なのですから」
江端:「……はい」
後輩:「とはいえ、今回の介護問題に対する江端さんの指摘は、少なくとも国民の多くが『ぼんやりとした不安』としてフワフワとしていたものを、言語と数字で具現化した、という点において意義はあります」
江端:「うん、これは、自前でシミュレーションしていることに『強み』があると思う。ただ、もっと確度に高いシミュレーションを使いたいよ。わが国には、人口についての研究を専門にやっている機関があるんだから、そこがソースコードを開示してくれればいいんだけどな」
後輩:「どの機関だって、江端さんみたいに、『死亡率の部分だけをハックする』ような人間に使用されるは嫌でしょう。それに、国家の機密情報として、国内外に開示したくない計算ルーティンも含んでいるはずでしょうし」
江端:「でも、私の血税の一部で作られているんだろう? 私はソースコードを開示しているのに不公平じゃないか」
後輩:「あのソースコードのことですか? はっはっは、勝負にすらなりませんよ」
後輩:「ところで、今回のシミュレーション、私は『悪魔の計算』とは思いませんでした。あそこまで慎重に逃げを打っておく必要がありましたか?」
江端:「『人の死を制御する』という考え方自体、人間として“ダメ”だろう」
後輩:「そうですねえ、今の世の中、「自分の死」すらも自分で制御させてもらえませんからね。江端さんも触れていたようですが『自死に関する自己決定権』については、わが国での立法化は難しいでしょう*)。さらに、寝たきりなどの重度の要介護者の方には、その権利能力が第三者に委託できなければ、全く機能しませんしね(現行法では100%殺人罪、または自殺幇助(ほうじょ)罪)」
*)「自殺は殺人罪か否か」の法的解釈については「「人身事故での遅延」が裁判沙汰にならない理由から見えた、鉄道会社の律義さ」で言及しています。
江端:「しかし、ここ30年程度の時を経て、ちょっと状況は少しずつ変化してきているみたいだよ。少しずつだけど、親の死を、子どもが決められる方向に動いてもいるようだし*)」
*)参考:著者のブログ
後輩:「ふむ……。では、さらにあと30年かければ、『自死に関する自己決定権』が社会に認容される可能性もあると……」
江端:「とはいえ、その「権利の譲渡」が合法にならなければ、殺人罪が適用されてしまう。そう考えると、やっぱり立法化は必要だろうな。」
後輩:「とすれば、今後の江端さんの役割は、明確ですよね」
江端:「は?」
後輩:「『自死に関する自己決定権とその譲渡』に関する立法化のロビー活動ですよ」
江端:「あのなぁ……、そんな人類史上初のパラダイムシフトを、私ごときが主導できる訳なかろうが。それ、ルターの宗教改革のレベルを軽く超え……」
後輩:「そうですね。まず、江端さんは、江端さんの1世代、2世代上の、この問題に対して、緊急性の高い人達との連携を図り、社会コンセンサスを作るのが、第1ステップになります。次は、国政への進出ですね。江端さんが党首である「日本停滞党」の旗揚げです。建党の趣旨は、この法律の立法化でいいでしょう。議員立法のアプローチが一番手っ取り早いかもしれません。世論の形成については……」
江端:―― おい。私の話を聞け。
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江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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