こんにちは、江端智一です。
今回は、政府が主導する「働き方改革」の項目の一つである、「子育て、介護、障害者就労」の中の、「介護」に関する(i)介護サービス市場の全体像と、(ii)介護サービスによる経済的効果 ―― 恐らくは、日本初で(たぶん世界初でもある)「悪魔の計算」と、(iii)介護サービス市場の特殊性に関するお話をしたいと思います。
そして、この「悪魔の計算」から、で、私なりに見えてきた「『働き方改革』という枠組みにおいては、政府が公には言えないこと」をご報告したいと思います。
今回も、相当に不快なシミュレーションを強行しました(以前掲載した「『1/100秒単位でシミュレーションした「飛び込み」は、想像を絶する苦痛と絶望に満ちていた』」ほどではありませんが、その不快さにおいては同じベクトルです)。
今回も前回と同様に、不快な気持ちになりたくない人、不愉快な気分を避けたい人は、このページで本コラムを読むのを中断することをお勧めします(読み終えた後のクレームは、どうぞお控えください)。
……よいですね?
……本当によいのですね?
では、始めます。
政府が、「働き方改革実行計画」の中の「子育て、介護、障害者就労」の項目で挙げている事項を読んで、私が連載第1回「上司の帰宅は最強の「残業低減策」だ 〜「働き方改革」に悩む現場から」に記載した課題と所感は以下の通りです。
今回は、まさに、上記の赤枠で括った箇所の通りの内容を検討します。
なお、前回のコラムで申し上げた通り、介護には「介護人の回復時に完了するもの」と「介護人の死亡時に完了するもの」の2種類があり「高齢者介護」は後者に該当します。以下、この「高齢者介護」を、単に「介護」ということとします。
今回、このコラムを書き始める前に、私は「国の介護サービスによる財政破綻」という趣旨の記事をいろいろと読んだのですが、理解できませんでした。
まず「国の財政破綻」とは、どういう状態を言うのかが分かりませんでしたので、「ギリシャ危機」のことを調べ、ついでに「地方自治体の財政破綻」についても「デトロイト市」と「夕張市」について調べましたが(調べた走りのメモを、こちらに置いておきました)。
結局、「国の介護サービスによる財政破綻」のロジックが、私には良く理解できませんでしたので、この観点からの検討は留保することにしました。今回は、地道に、国による介護サービスの財源から調べてみました。
なお、このコラムでは、全体を把握することを優先し、あえて、細かい金額は大ざっぱな金額に置き換え(83兆3623億→80兆円)、細かい比率も大ざっぱな比率(8.92%→10%)に置き換えています(要するに、『細かい数字のことで突っ込まないでね』ということです)。
まず、政府の歳出(要するに出費)は、現在、ざっくり100兆円です。この内の3割程度が、社会保障費 ―― 年金、医療、介護、生活保護、社会福祉 ――に割り当てられています。
その中で、介護は、2.5兆円を当てられていますが、正直「2.5兆円? そんだけ?」と思いました。
『そりゃないだろう』と思いました。毎年、父と母の確定申告の手続で、ここ数年、年金と介護保険による支出を見つづけてきて、ほとんど毎月のように日本の人口シミュレーター(自作)を作り直してきた私は、猛烈な違和感を覚えました ―― これは絶対に少ない、と。
ところが調べているうちに、別の財源があることが分かりました。介護保険制度です。
サラリーマンである私にとって、税金であろうが、健康保険であろうが、介護保険であろうが、それらは「私たちのなけなしの稼ぎから、理不尽に年貢を取り立てる悪代官」くらいのイメージしかありません。
40歳以上の社会人は、毎月5200〜5400円くらいを強制徴収されていますが、江端家(実家)の父も母も介護認定を受けて保険料をもらっていましたし、母は障害者認定もされて、公的保護を受けて生きている日々です。
「悪代官」どころか「遠山の金さん」といってもいいくらいです。私は、文句など言える身分ではありません。
というか、この制度が始まる前は、一体、介護って、どうなっていたのだろうかと思うと、結構ゾッとします。前回の「高齢者介護 〜医療の進歩の代償なのか」でお話したように、「高齢者介護」という概念が社会的な問題(×個人的な問題)と見なされず、無視され続けていたのかもしれません。
実際のところ、ほんの30年ほど前には、「自分の親を、外部機関(老人ホームなど)に預けるなんて、それでも、お前は人間か!」と非難される時代があったのです(図書館で、古い新聞の論説とかコラムを調べれば、すぐに見つけられます) ―― そして、実際、今なお、非難されることがあります。
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