今回は、寿命と介護について、恐らくは“世界初”となるであろう「悪魔の計算」を試みました。この計算結果を見て、あなたはどう思いますか?そして私が見いだした、「働き方改革」を行う本当の理由とは……?
「一億総活躍社会の実現に向けた最大のチャレンジ」として政府が進めようとしている「働き方改革」。しかし、第一線で働く現役世代にとっては、違和感や矛盾、意見が山ほどあるテーマではないでしょうか。今回は、なかなか本音では語りにくいこのテーマを、いつものごとく、計算とシミュレーションを使い倒して検証します。⇒連載バックナンバーはこちらから
父が他界したのは、2018年7月28日の土曜日の早朝でした。
その後、通夜、本葬、初七日を経て、会社に数日の休日を申し出た後、私は、姉と二人で父の死亡に伴う手続き(戸籍や相続)に走り回っていました。
違和感を覚えたのは、その手続きを開始して2日目くらいだったと思います ―― 『家の中が静か過ぎる』と。
もちろん、父がいなくなったのですから、父の気配がしないのは当然として、以前は、もう少し「人の気配」があったと思うのです。『これは何だろうな』と思いつつ、ようやく気が付きました。
父の食事を作り部屋の掃除をしてくれるヘルパーの人が来なくなり、父を迎えにくるデイケアサービスの人が来なくなり、お弁当を届けにくる人が来なくなり ―― 文字通り「そして、誰もいなくなった(アガサ・クリスティ著)」です。
父は自宅で一人暮らしをしていましたが、数分前の記憶を維持できない認知症でしたので、介護サービスのサポートなしでは生きていくことはできませんでした。そして、父が消えたことで、少なくとも父の面倒を見てくれた人も一気に消滅し ―― 彼らは、仕事を失ったのです。
その時、私は気が付いたのです。
―― 父は、GDP(国内総生産)に多大な貢献をしてきたのではないだろうか?
以前、私は、カツ丼を使ってGDPの説明を試みました。GDPというのは、原材料のコストをベースとして、その原材料以上に価値のある商品またはサービスを創成して得られたコストとの差額を、日本中の全商品と全サービスについて足し算したものです。
上記の場合、カツ丼は、GDPを生産する「装置」になっているわけです。
介護サービスを必要としない人(私や自立して生活のできる高齢者)は、介護サービスのGDPを生産することはできません。また、自立して生活のできなかった認知症の父も、施設で寝たきりの母も、介護サービスも商品も作り出す能力はないのでGDPには貢献していません。
しかし、父や母は、介護サービス市場に相当量の流通貨幣(キャッシュ)を投入し続けてきたのです。
なぜなら、国から支給される、父や母の年金や介護保険のお金は、手付かずのまま、そのまま介護サービスを支える人や組織に流れているからです。
今回、父や母の確定申告の時に読んでいた書類を調べてみたところ、最低でも年間200万円のお金が、医療費や介護サービス費として使われていた ―― つまり市場に放出されていたことが分かりました。
比して、私個人に特有の支出といえば、月に1〜2回程度、疲れた時にだけ行くスーパー銭湯、北極ラーメン、Amazonで購入する4コママンガくらいです。そして私は、5000円程度のマイクロコンピュータ(「Raspberry Pi」)が1台もあれば、軽く半年は(設定とかシステム構築だけで)遊んで暮せるという、「安い男」なのです。
GDPへの貢献度(雇用創成、市場拡大)に関して言えば、私は、障害者認定、介護認定されている父や母に、遠く及びません。
もっとも、私には、GDPの増大が無条件に「良い」かどうかは分かりませんが、雇用が潤沢に産み出される世界は「良い」といって良いと思います。
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